わが友ホロゴン・わが夢タンバール

217.15 ホロゴンデイ64「2007年2月13日奈良竹内街道は晴れ渡っていた」15 大きいか小さいか



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もっとも、ミレーと気持ちが沿っているのは前回のところまで。
ミレーは、こうも言います、

要は、美しく描くことではなく、
それを描く必然性なのだ。
その必然性こそが画家の力を左右し、
上達させていく。

私の場合、このロボグラフィを撮る必然性など、
まるでありませんね。
やむにやまれぬ表現意欲から、写真を撮るわけではなく、
ただ楽しいから、
ただ出会いが嬉しいから、撮るだけ。

もし必然性を求められたら、私は撮らないでしょう。
表現を求められたら、私はさっさと写真からサヨナラします。

「袖触れ合うも多少の縁」と言います。
ロボグラフィ撮るのも、多少の縁、ただそれだけ。
だから、飽きません。

この言葉の意味は、仏教的には、通念とは逆です。
前世から続く縁があるからこそ、ここで袖を触れあう。
どんな小さな出会いにも、深い契り、縁があるのだ。
私はこの考え方に全面的に賛成です。

もちろん、私たちの人生、人間関係、世界は、
因果関係のネットワーク、輪のなかの1つの出来事。
世界のすべての過去が私のこの出会いに関係しています。

でも、だからと言って、気を重くすることはありません。
どんなことも、次のなにかにつながってゆく。
良いことも悪いことも、別のなにかにつながってゆく。
ロボグラフィはそんな結縁の節目。

この節目が大きいか小さいか、神さま以外には分かりません。
ですから、すべてを大切にしたい。
そのために、強靱に写し取りたいのです。
by Hologon158 | 2011-03-21 13:54 | ホロゴンデイ | Comments(0)