221.36 ホロゴンデイ66「2011年3月6日濹東綺譚の荷風を気取ってはみたけど」36 沈黙の音(2)
子供の頃でした。
ラジオを付けると、NHKのアナウンサーがこう言ったのです。
「ただ今から、サウンド・オブ・サイレンス」をお送りいたします。
私と小学生の弟と、ラジオに耳を近づけて、耳を澄ましました。
なんにも聞こえてきません。
30秒ほど経ったでしょうか、アナウンサーの澄ました声、
「サウンド・オブ・サイレンスをお送りいたしました。
今日は4月1日でした」
なんのことはない、エイプリルフールに引っかかったのです。
これがトラウマとなったのでしょうか?
私は沈黙とは無縁の人間になってしまいました。
NHKに損害賠償を請求してもいいかな、と思っています。
とにかく沈黙の中にじっとしていることができません。
よく電車の中で、
なにもせず、目を開いて、じっと動かない人に出会います。
レストランでも、料理を待ちながら、じっと座っています。
私はこんな人たちに限りない尊敬の念を抱きます。
心理学で、「暗黒無音室」に入れるといく実験をすると、
被験者のほとんどに幻覚、幻聴が発生すると読んだことがあります。
沈黙に耐えきれずに、
沈黙を埋めるものを自分で生成するのでしょうか?
沈黙それそのものは存在するものではないのでしょう。
音と音との間に無音の時間経過が入るとき、
とても意味のある沈黙となるような気がします。
よいコンサートホールで、バッハやモーツァルトを聴くとき、
この重い沈黙があるからこそ、旋律が生きてきます。
こんな沈黙のさなかに、咳をしたりする人がいると、
くやしくて、あんたこそ永遠に沈黙させてしまいたい、
と殺意を抱いたり。
久しぶりに上京して、東京で電車に乗りました。
その駅のうるさいこと、うるさいこと。
みなさん、全く平気の表情でした。
私には耐えがたい騒音と混雑でした。
都会人からどんどん沈黙への感受性が奪われていく、
そんな感じがしました。
いつか、沈黙の音に耳を澄まし、そこに永遠の音楽を聴く、
そんな人間になりたいものですね。
[後書き]
4枚目の左路上で撮影中の写真家、
これぞ、GG-1さん。
さすが、と言いたくなるほど、様になっている後ろ姿ですね。
私のは、様になるどころか、
カエル、ピョコピョコ、ミピョコピョコって感じ。
本人は気づいていませんが、あまりかっこよくありませんね。
気づいていても、本人、気にしていないようですが.....
by Hologon158
| 2011-04-07 15:01
| ホロゴンデイ
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