わが友ホロゴン・わが夢タンバール

221.74 ホロゴンデイ66「2011年3月6日濹東綺譚の荷風を気取ってはみたけど」74 日々、祝祭



ハリー・オースティン・イーグルハートは、
「女神のこころ」の序文で、女神の3つのカテゴリーを書いています。

1 創造(出産、養育、自然界の豊かさ)
2 変容(肉体的な死と再生、比喩的な死と再生)
3 祝祭(セクシュアリティ、官能、創造性)

よく考えてみますと、すべての芸術がこの3つの段階を経て、
1つの作品としての存在を持つのではないでしょうか?

どんな作品でも、まずは創造から出発します。
この世にはない、なにかを生み出す。
でも、それが見るものになんの変化も影響ももたらさないのであれば、
無意味であり、芸術とは言えません。

芸術は、それを知ることで、人間を変えてくれる、そんなもの。
単なる素材の組み合わせから、創造は出発しますが、
完成時には、素材の組み合わせとはまったく異質な、
まったく新しいなにものかに変容していなければなりません。

そして、その変容を経て生まれ出たものは、
その芸術に接するものに、
心身を揺さぶるような喜びを生み出してくれます。

もっと考えを進めますと、
私のような素人が撮る写真でさえ、
撮影者自身に対する関係で、これと同じ3つの段階を経て、
撮影者の人生に意味あるものとなります。

素人のだって、写真は一種の創造です。

現場にはない1つのイメージに生まれ変わるのですから。
そして、それは人生の糧、生きる意味にさえなります。
自分一人のため、自分一人を観衆とするだけとは言え、
一種の創造行為なのですから。

本気で写真を人生の1つの意味にすることができたなら、
素人だって、日々、祝祭の中に暮らすことさえできるのでは?



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by Hologon158 | 2011-04-18 00:05 | ホロゴンデイ | Comments(0)