わが友ホロゴン・わが夢タンバール

238.16 ホロゴンデイ71「2005年6月7日 大和郡山は雨のち曇りだった」16 あまりにも幼稚



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対照的な記事を見つけました。

<イタリア国民投票>脱原発を継続 再開反対9割超
(http://www.excite.co.jp/News/world_g/20110613/Mainichi_20110614k0000m030085000c.html)
イタリアにはまだ原発がないそうですが、この国民投票の結果、
もう未来においても、原発建設の可能性は無くなった、と言えそうです。

もう一つは、自民党の石原伸晃幹事長は14日の記者会見の記事。
(http://www.excite.co.jp/News/politics_g/20110614/Jiji_20110614X619.html)
福島第1原発事故後の反原発の動きについて、
「あれだけ大きな事故があったので、
集団ヒステリー状態になるのは心情としては分かる」と述べた。
イタリア国民も、まさに集団ヒステリー状態だとおっしゃるのでしょう。

前から、原発推進の立場は民主党だけではない、
自民党も原発推進の立場を捨てないと書いてきました。
やっぱりですね。

でも、反原発運動ははるか以前からありました。
私ももちろん反原発派でした。
その理由は、原発事故は必ず起こる。
起こると、人類に致命的かつ永続的被害を与えるということにありました。

ところが、自民党政府当局と原発関係者の回答はこうでした。

「原発事故は絶対に起こらない。
原発は絶対安全かつクリーンな電力源である」

なんの根拠もない、嘘八百であるうえに、
自分でもその嘘八百を信じて、
原発事故防止対策及び事故発生時の解決策に研究をまったく怠ってきたのです。

反原発層の拡大は、日本のみならず、全人類の未来のための選択。
けっしてヒステリー現象ではありません。

ウィキペディアでは、「集団ヒステリー」をこう定義しています。
「社会的緊張状態のもとで、
通常の状態では論理的・倫理的に説明のつかないような行動を、
人々がとる集団パニック状態」
烏合の衆がなんの根拠もなく不可解な行動をとっている、そういうわけです。
大震災後の反原発への世論の傾斜は集団ヒステリーなのでしょうか?

近ごろの政治家たちの、言葉に対するデリカシーと細心な注意の欠如には、
目に余るものがあります。
この石原幹事長の発言もそうですが、
菅首相が、かつて沖縄県の石垣島で飛行場建設反対運動を視察した際、
「 運動している人に3日ほど拉致されて、大変いい経験をした」
という発言もそうですね。
「拉致」とは、被害者の意思に反して、拘束して連行することです。
ヒステリーも拉致も、誹謗中傷の用語。

今、敵をわざわざ自分から作るような発言をすべき時期、状況ではないのに、
こんな用語を平気で使って、国民の神経を逆なでする。
この人たちは、日本語を知らないのではないでしょうか?

そんな言葉で誹謗された人たちがどのような気持ちになるか、
ぜんぜん想像どころか、気づいてもいないのではないでしょうか?

「被災地視察」と称して長野県栄村を訪れた際、
前日に被災地を素通りして近くの温泉宿に泊まり、
同級生の内閣参与や元部下の知事らと温泉に浸かって宴会に興じたという、
仙谷由人・官房副長官も、同様に幼稚で権力に酔いしれた姿をさらしています。

過去の自民党全盛期の首相たちは、小憎らしいほどに、
言葉を慎重に選んで発言し、自分の気持ちをしっかりと隠しました。
けっして尻尾をつかませない胆力と周到なる下準備がありました。
私は、大きらいでしたが、
小憎らしいほどにしゃあしゃあとした悪党振りに、
心中舌を巻くことがよくありました。

そんな過去の政治家たちと対照的なほど頻繁に起こる、
現代の政治家たちの時と場所をわきまえぬ、
あどけないほどに幼稚な失言、暴言、浅はかな行動は、
人間理解と教養の欠落、人間的深みの欠如を露呈するものであり、
目も覆わんばかりの、政治家の質の劣化、頽廃を示している、
そう考えるのは、私だけでしょうか?
by Hologon158 | 2011-06-14 21:51 | ホロゴンデイ | Comments(0)