わが友ホロゴン・わが夢タンバール

238.19 ホロゴンデイ71「2005年6月7日 大和郡山は雨のち曇りだった」19 お面!



NKさんが「ボクのフェルメール」と題して、
フェルメールの「真珠の首飾りの少女」の絵について書いておられます。
(http://k7003.exblog.jp/)

私の一番大好きな画家なのですから、嬉しいのなんのって!

「朝の光が差し込むロスアンジェルスの
ホテル・ロビーのエスカレータ脇で、
顔を傾けてボクを見つめていたこの少女こそが、
ボクのフェルメールなのですから」

本当に芸術を愛する人の言葉ですね。

そこで、思い出しました。
私の前回のテーマは、
「自分の生涯の間にどうしても見たいものがありますか?」

私は、そんなものをいくつも既に見ています。
皆さんもそうでしょう。
心の中に焼き付いて、生涯、忘れることができないイメージ。
私も一杯持っています。

その最高の瞬間こそ、まさにフェルメールでした。
前にも書いました。
幾度でも書くでしょう。
「デルフトの光景」

画集で見ると、なんということのない平板な風景画。
でも、本物は、異次元の存在として、そこにありました!
たった今描き上げられたばかりかと思うほどに、
濡れたような感触で、燦然と光り輝きながら、そこにありました。
メラメラと生命感、エネルギー感を放射していました。
あちこちの人類の至宝を収めた美術館を訪れましたが、
私にとって、ベラスケスの「ラス・メニーナス」とこの絵以上に、
奇跡的な存在はありません。

私がマウリッツハイスを訪れたとき、
「真珠の首飾りの少女」とこの絵の2枚は同室にありました。
向かいあった壁面の両隅にあって、対角線上に近い状態でした。
同じ壁面に置くわけにはいかない。
両雄並び立たず!
私としては、この2枚は別室に置いて欲しいですね。
それほどまでに「デルフトの光景」は他を圧していたからです。

この絵と「ラス・メニーナス」とに出会って、
どんなに優れた印刷の画集からも感じ取れないオーラがあることを
知りました。

私は、切手大の画にでも感じることができる、そう信じています。
絵は、それ自体、その絵の向こうに広がる世界のシンボルだからです。
人間は、このシンボルを通して、この世界を味わうことができます。
それこそ、人間が進化の究極の果てに手に入れた能力なのです。

でも、「デルフトの光景」のような絵になると、
フェルメールその人がその絵の中から直接話しかけてきます。
そのとき、私たちに雪崩れ込む情報と情感は極限に達する、
私はそう感じたのです。

NKさんは、これまでの人生、
世界を股にかけて歩いてこられたのですから、
もちろん最高の美術を数知れず、実作で味わってこられた人です。
それだからこそ、冒頭の言葉が味わい深いのです。

NKさんの数知れぬ作品群をご覧になったら、
類い希な美的感覚でもって、絶妙の瞬間を切り取る名人。
その基盤に、この美的感覚があればこその名人芸。

私には、まだNKさんの冒頭の言葉を自分のものにする自信など、
ありません。
激しく「お面!」と打ち込んだその瞬間、
すっと胴をはらわれていた、未熟剣士の心境ですね。



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by Hologon158 | 2011-06-16 00:43 | ホロゴンデイ | Comments(0)