わが友ホロゴン・わが夢タンバール

246.22 ホロゴンデイ73「2005年5月15日 飛騨高山でホロゴンが踊った」22 イエス!



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前回、思い出を買うということを書きました。
私の場合はもう少し刹那的になりつつあります。

私はとても記憶力が悪いのです。
非日常的な旅でもそうなのですが、
日常的な毎日のこととなると、ほとんどなにも覚えていません。
全部きれいさっぱりと忘れてしまいます。

そこで、なんとか忘れないようなことをしたい。
そう考えて、積み重ねになるようなことをするようにしています。

たとえば、揚琴。
日々の練習はただの積み重ねです。
でも、この積み重ねは着実に私の中で層化します。
気がついたら、以前まるきりできなかったことができる。
身体もかなりやわらかくなり、まるでなかった背筋がついてくる。
これも一種の記憶、身体的記憶です。

写真も、私にとっては、記憶のよすが。
ブログもそうです。
いつも私が主張することですが、
これらは、私のメモランダム。

人間にとって大切なことは、
世の人が認める重要な仕事をすることではありません。
そんなことをできる人は、稀な才能と稀な幸運の持ち主。

そんなこととは無縁な私にできることと言えば、
日々、することをしっかり性根を入れてすること、
これしかありません。

何をするかではなく、どんな風にするか?

とすると、人力車に乗ることも、写真を撮ることも同じ。
要は、心を込めて、その時間を楽しむか?
要するに、くだくだ理屈をこねず、やりたいことを毎日やるか?
この勝負となります。

そうすれば、なにか報いがあるか?
ありません。

そんな報いを期待せず、
ただ、こう自問自答できればいいじゃありませんか?

    今日は1日、やりたいことを思いっきりやったか?
    心を込めて、心を集中して、やることができたか?
    明日の朝死んでも、思い残すことはないか?

この最後の質問に「イエス!」と答えることができたら、
ほんとに死んでもよいのですが、
これはなかなか到達不能の境地ですね。

それでも、想いだけは、それ位までがんばりたいものですね。
by Hologon158 | 2011-07-08 22:18 | ホロゴンデイ | Comments(0)