わが友ホロゴン・わが夢タンバール

249.06 ホロゴン外傳20「2011年6月5日 クック・キネタールが安土に出会った日」6 ないものねだりしても



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写真家の皆さんは、たとえば、ストリートフォトを撮るとき、
どんなことを考えて撮るのでしょうね?
よくこんな言葉を耳にします、
   「ああ、ここに和服の女性が来たらなあ....」
   「ここは朝がいいだろうな」

要するに、その場にないものと合わせたとき、
1つの写真作品が完成する、そんな絵を描いているのでしょうか?

私は、写真を始めてこの方、このような考え方はしたことがありません。
今、ここで、あるものだけを撮る、そのやり方一筋を通してきました。
写真は、あるものだけで勝負だ、そう考えてきたからです。

ですから、やらせとか細工とかは、まっぴらご免。
なぜって、それじゃ、
自分で感動したものを撮るんじゃないじゃないですか。

自分でも感動していないもので、人に感動させようって、
一体どういう考え方なのでしょうか?

第1、やらせなんて、見ればすぐばれてしまいます。

ちょっと話が逸れますが、日本のドラマ、映画を観ないのはそれ故。
一部のベテランをのぞき、あまりにも下手すぎます。
先日も、日本のドラマをちょっと観る機会がありました。
主人公の兄妹が真剣に語り合うシーン。
   兄が、目の前に顔を近づけている妹を見ないで、
   長々と、たどたどしく不自然にしゃべり続けます。
   愛し合う兄妹が、真剣に語り合っているのに、
   相手の目も見ないでしゃべり続けるって、
そんなこと、あなた、しますか?
相手がしゃべっているとき、聞き手の胸中には、
本当ならさまざまな感情が走るはずなのに、
表情がまるっきり変わりません。

試しに、音声を消してみてください、
なにを感じているか、表情を見ただけで分からなければおかしい。
でも、まるきり能面なのですから、感情などちらっとも推測できません。

写真って、このセリフを消して、場面を見せるのに似ています。

見る人が、写真だけから、なにかを感じられるか?
それが写真家の勝負です。
題名を付けて分からせる、なんて、素人のやることです。
写真だけが勝負なのです。

こう考えてきますと、真実のところ、アマチュアが
人にアピールできる写真を撮るのは、とても難しいのです。

人間そのものが深く、しかも、写真の技も抜きんでている、
そんな人にして初めて、写真だけで語ることができます。

私は、だから、はなっから、写真家的な写真は捨てています。
自分がいいと思った光景をただそのまま撮る、これでいい。

ところが、これだけで十分難しいのです。
しかも、ただの記録写真じゃないのですから、
そんな写真を撮るときに、私の気持ちを思い出させてくれる、
そんな色づけがほしい。

自分にはそんな能力がないから、レンズにそれを求めたい。
そんなレンズを見つけるのは至難です。

でも、極上のレンズはそんな離れ業をやってのけるのです。
それが、ホロゴンであり、マクロスイターであり、スーパーアンギュロン。

このキネタール37.5mmF1.8もそんなレンズじゃないかな?
私には、そう思えるのですが......
by Hologon158 | 2011-07-18 16:12 | ホロゴン外傳 | Comments(0)