わが友ホロゴン・わが夢タンバール

249.07 ホロゴン外傳20「2011年6月5日 クック・キネタールが安土に出会った日」7 創作とやらせの違い



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でも、アマチュアカメラマンの方なら、きっと激しく反発し、
こう反論されるでしょうね。

大写真家たちも、やらせをバンバン撮っているじゃないの?
植田正治なんて、最初からずっとやらせで大写真家になったよ。
ほとんどの写真家、やらせ写真を撮って、写真集に作っているじゃないの?

アラーキーの「センチメンタルな旅」を、
写真家夫妻の真実のハネムーンの情景写真だけを
集めて構成したものと考える人はいないでしょう。

そのほとんどは、アラーキーは、これは写真集用だぞと明確に意識して、
カメラを構えています。
ハネムーンの新郎気分が初々しい花嫁に向かう気分など、
その瞬間には、影も形もなかったはずです。

エルスケンの「セーヌ左岸の恋」もそうですね。
パリ、セーヌ左岸のサンジェルマン・デ・プレあたりに生きる、
1人の女性アンの生活をフィーチャーする写真群で、
一躍世界的な写真家になります。

モデルとなったのは、ダンサーで画家のオーストラリア人、
ヴァリ・マイヤーズ。
カメラをもって同伴し、至る所で、
プライベートライフらしき情景を撮るのです。
カメラマンが完全な黒子、透明人間とならないかぎり、
真実の生活など撮れるわけがありません。

まして、撮った写真を配列するとき、
その配列は、美的観点からストーリーとして選択されるので、
人生に現実に起こったプロセスとは無縁、似ても似つかぬシーケンス。
もちろん、これはフィクションなのです。

写真家もモデルも編集者も見る人も全部それを知って、
フィクションから浮かび上がる人間的真実を楽しむのです。
それが、芸術というものです。

植田正治、アラーキー、エルスケンの作品をやらせとは誰も言いませんね。

でも、「やらせ」というのは、そうじゃありません。

写真家自身が、ほんとにこの情景にぶつかったんだよ、
だから、凄い写真だろ、と主張するのです。

これは「ズル」以外のなにものでもありませんね。
やりたい方はおやりになったら、よろしいのです。
でも、「天知る地知る子知る我知る」ですね。
やらせであることなんか、一目でばれてしまいますから、
大した感動にはつながりませんね。

でも、そんな写真、一杯カメラ雑誌で受賞しているじゃないの?
もちろん審査員は百も承知で選んでいるのです。

先生方の選評がいいですね、
    「人生の真実がこの瞬間に写しとどめられています」
それがアマチュア写真のアマチュア写真たる由縁なのです。

というわけで、どんな賞をおとりになろうが、
どんな写歴を重ねられようが、どうぞ、ご遠慮なく、
こちらは、あほらしくて、観てられますか、というところ。
by Hologon158 | 2011-07-18 16:53 | ホロゴン外傳 | Comments(0)