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250.09 ホロゴン外傳20「2011年6月5日 ノクトンが安土に出会った日」9 それはレンズの上に

ピアニストにしてエッセイストの青柳いづみこさんの本を、
中公文庫で幾冊か読めます。
今、その三冊目を読んでいます。

「音楽と文学の対位法」

よくぞここまで消化したと思えるほど、
啓発的な分析と情報を読者にプレゼントしてくれます。

ショパンの作曲についてのジョルジュ・サンドの報告が面白いですね。

   創造行為は自発的な、奇蹟とも思われるものだった。
   求めることなく、予見することなく、それを発見するのだった。
   それはピアノの上に、突然の、完全な、崇高なものとして訪れてくる。
   またそれは、ある散歩のおりに、頭の中で歌となって鳴り、
   それを急いで、楽器の上に投げ出すことによって、
   自身に聞かせようとする。
   しかし、このとき、かつて私が立ち会った最も苦しい労役がはじまるのだ。
   それは、主題の持つこまかい幾つかの点を自分の耳で聞いて
   つかみなおすための、数々の努力、不決断、そしていらだちの連続だった。
   その結果、彼の言葉によれば、
   それをきちんとした形で見つけ直すことができないという後悔が
   彼を一種の絶望のなかに投げ入れるのだった。
      (ジョルジュ・サンド「我が生涯の記」 ただし、省略して引用)

この言葉を読んで、すぐに連想、というより夢想してしまうのです。
私たちも、こんな風に天からの賜物のように写真が下りてきたら?

こうです、

   撮影行為は自発的な、奇蹟とも思われるものだった。
   求めることなく、予見することなく、それを発見するのだった。
   それはレンズの上に、突然の、完全な、崇高なものとして訪れてくる。
   またそれは、ある散歩のおりに、路地の中で歌となって鳴り、
   それを急いで、カメラの前に投げ出すことによって、
   自身のものにしようとする。
   しかし、このとき、最も苦しい労役がはじまるのだ。
   それは、情景の持つ深い意味と面白さを自分の眼で確かめて
   つかみなおすための、数々の努力、不決断、そしていらだちの連続だった。
   その結果、彼の言葉によれば、
   それをきちんとした形で写真にすることができないという後悔が
   彼を一種の絶望のなかに投げ入れるのだった。

おっと、いけませんね、
結局、絶望にたどり着くだけなのですね。

これまで通り、勝手気ままに、結果など望まずに、
ただ撮ることにいたしましょう。



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[後書き]
   フレアこそありませんが、
   やっぱりノクトン50mmF1.5の開放は美しいですね。
   やさしいボケ味と、あたたかい色彩。
   このレンズ、ちょっと常用したくなりますね。
by Hologon158 | 2011-07-22 21:53 | ホロゴン外傳 | Comments(0)