わが友ホロゴン・わが夢タンバール

260.09 ホロゴンデイ75「2006年3月23日飛鳥に来ると、ホロゴンが燃える」9 新唯我論



19世紀という、はるか昔の話です。

    キリスト教の宣教師がアフリカで伝道したとき、
    アフリカ人に写真を見せたのです。
    でも、そのアフリカ人たちは、
    写真に写っているものを、
    それと認識することができなかった。

とても想像しがたいことですが、
生まれてこの方、写真を見たことがない人にとって、
写真の表面を視覚的に有意なものとしてとらえることができない。

これは何を意味しているのでしょうか?

素人的に考えてみますと、
ものをものとして認識するという行為は、
メカニカルなものではなくて、主体的な把握の行為なのです。

つまり、誰が見ても、そのとおり見えており、
お互いにおなじものを見ている、
そんなことはぜんぜんないのです。

同じ場所に居て、同じ方向を見ていても、
人によって、見えているものはまったく違う、
そんなことがありえます。

そして、同じ写真を見ても、人によって見えるものは違う。
それまでの視覚その他の体験が、文化が、歴史が、
その人のものの把握の仕方にさまざまに影響を与えるのです。
その人、独特の見方でものを把握するのです。

他の人がどんなものを見ているのか、私には分かりません。
逆に、私がどんなものを見ているのか、人にも分かりません。

じゃあどうするのか?

どうもしませんね。

    私は他の人ではなく、他の人は私ではない。
    私は他の人の真似をしても、仕方がない。
    他の人が私の真似をしても、仕方がない。

自分の見えるものを見、
そこに自分だけの感動を見つけ出す、
これしかできることはありません。

ですから、私は毎日、毎記事に書いていること、
私が毎日、毎記事に掲載している写真、
これらを人が理解してくれることなど、私は期待していません。

こんなことを考えている人間が写真を撮るのです。
そんな写真を人が理解し、喜ぶだろう、なんて、全く期待していません。

ですから、今回も、平気でこんな写真を出します。



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by Hologon158 | 2011-08-17 00:16 | ホロゴンデイ | Comments(2)
Commented by tetsuya-endo at 2020-07-13 22:06
あなたの写真はいいですね。この投稿の写真なんかは、どんなレンズで撮ってるんですか?
Commented by hologon158 at 2020-07-14 14:59
ありがとうございます。
私は写真家じゃなく、ただのレンズ好きです。
私の写真は写真家からは完全無視されています。
須田一政さんからは「窮屈すぎて、遊びがない」と酷評でした。
だからでしょう、
このブログ、ほとんど人は来ませんよ、念のため。
写真もブログも、人に見せる作品じゃなく、私の生きがい。
ひたすら路地裏を中心に街中で撮っていますが、
1日歩いても疲れません。
ホロゴンは、私にとっては、最高の伴侶です。
50年前のホロゴンウルトラワイドについていたレンズです。
銀塩時代の描写が最高でしたが、
改造してソニーα7に付けても、比類のない描写です。