わが友ホロゴン・わが夢タンバール

277.04 ホロゴン外傳21「2011年10月19日スピードパンクロ35mmF2は奈良を席巻した」4 人生で一番大切なこと



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まだまだ、まだまだ、土曜日の続き。

今日は満足しました。
全部駄作でもよいのです。
量は質に、なんてもうしません。
量は量のままですが、
私にとってはなにものにも代え難い価値があります。
大阪弁で言いますと、

    写真は「撮ってなんぼ」のものなのいですから。

撮らなければ、たいていの記憶は消えてしまいます。
撮ることができさえすれば、記憶のよすがとなります。

誰もが人生の日々にさまざまの行為を重ねてゆきます。
でも、たいていの一日は忘却の彼方に消えてゆきます。
よほどのことがない限り、ある日に出会ったもののことなど、
覚えていません。

でも、私は違います。
写真があるかぎり、覚えています。
そのとき、感じたこともよみがえります。
出会った情景の細部まで一緒によみがえります。

何年も前のことだって、そうです。

    30何年か前、
    宮崎の平和台公園の裏山のはにわの森にはいずりこみ、
    はにわをコンタックスのプラナー50mmf1.4で撮りました。
    そのときの地面の感触まで思い出すことができます。

私はとても記憶力が悪い人間で、
オートフォーカスも使いませんが、
フォーカスエイドならぬ、メモリーエイドは使うわけです。

もちろんそんなメモリーエイドに頼らないでも、
記憶する出来事があります。
これが本当に記憶するに値する出来事なのでしょう。
それ以外は全部忘れてもよいのです。

人生で一番大切なことは、

    今、なにを感じ、
    将来、なにをしようとしているか?

済んだことにこだわっても仕方がありません。
でも、写真を撮るって、甘美な行為です。

    絵を描いたり見たり、
    音楽を演奏したり聴いたりする行為と同じように、
    人間だけに許されたぜいたくな悦び。
    そんな悦びを記憶できることに、写真の独自性がある、
    私はそう信じています。

写真作品として、人に見てもらい、写真展をしたりする、
これも楽しいことです。
でも、それができなければ、写真に価値がないとは考えたくないのです。

    というわけで、私にとって、どこまでも、
    写真は質よりも量。
by Hologon158 | 2011-10-24 10:57 | ホロゴン外傳 | Comments(0)