277.07ホロゴン外傳21「2011年10月19日スピードパンクロ35mmF2は奈良を席巻した」7 グスタボ・イソエ
さて、昨日午後4時すぎ、県立美術館に入りました。
ここが本日の目的2の場所。
特別展
磯江毅=グスタボ・イソエ
マドリード/リアリズムの異才
すでに、彼の画集を紹介しました。
「磯江毅|写実考」(美術出版社)
いわばスーパー・リアリズムの画家です。
画集の印刷がとてもよいので、
画集でも、彼の異才振りがはっきりと分かります。
でも、実作は桁外れ。
2枚のヌードがクライマックス。
等身大ほどの巨大な横長の画面に、
女性の画像が浮き上がります。
一人は、床に敷いた新聞紙の上に横たわっています。
その新聞紙がスペインの新聞をそのまま貼ったかのよう。
そして、女性の身体が新聞から浮き上がります。
もう一人は、暗黒のベッドに横たわるようです。
たんてきに、そこに、女性が居るのです!
すべて紙に鉛筆で描き、水彩を加筆したもの。
書いては消し書いては消し、2年かかったそうです。
側に寄って子細に細部をチェックしてみますと、
ただ鉛筆の線、粉、面、
離れると、現身の女性がそこに居ます。
もう一つの圧巻は、つり下げたニンニクを描いた、
「アーリーレッド」
油絵なのですが、油絵の具の痕跡は皆無。
本物のニンニクがそこにあります。
細い縄糸まで、すべてが正しく空中に浮かび上がっています。
どうすれば、こんなにも細い縄糸を立体感をもって描けるのでしょう。
いくら目を近づけて見ても、本物としか見えない。
ちょっとやりすぎで、だまし絵になっているのが、
「鮭 高橋由一へのオマージュ」
本物の板に柄が空他荒巻の鮭が板に縄でくくりつけられています。
全部柄と思いかけるのですが、
よく見ると、縄が板から飛び出ています。
細い細いほつれも見えます。
このほつれと、板に巻かれた縄の部分がどうやら本物。
凄い!
だけど、やりすぎ!
スーパー・リアリズムが曲芸になっては困ります。
これじゃ、小手先!
本物の板を使わず、
いつものように、全体を描くべきでした。
こんな風に、リアリズムが自己目的になっている部分があります。
そのあたりが、ワイエスとの差になっている感じがします。
ワイエスの場合は、すべての技法は表現の手段。
磯江の場合、技法を追求するあまり、目的となってしまい、
見る方は、その離れ業に度肝を抜かれるばかりで、
これでなにを表現したいのか、わからない、という絵もあります。
会場入口で、双眼鏡を用意していました。
私は、細部を双眼鏡で見たいとは思いません。
感じたい。
でも、細部を双眼鏡で見れば、
なおさらはっきりと、そのリアルな表現の妙味が分かるのでしょう。
しかし、これでは本末転倒になりかねません。
そんなわけで、4つの部屋で驚嘆と絶句と疑問の1時間15分を過ごしましたが、
本で見る以上に、磯江の絵を愛するとまではいかなかった感じ。
その点が、石井一男さんの絵との違いでしょうか?
木訥に、律儀に、無技巧に描き続けることによって、
いつしかミューズの女神が一枚の絵をプレゼントしてくれる、
そんな石井の絵は、遙かに小さく、遙かにモデストですが、
心にじーんとしみこんでくる愛に満ちています。
誰も成し遂げられないようなスーパー・リアリズムの技巧を追求して、
その向こうに超越の世界を実現しようとした磯江は、
志の方角を過剰補正しすぎたような感じがして、
ちょっと気の毒になってしまいました。
絵を見た人を驚かせ、讃歎させる方角よりも、
絵を見た人を愛と喜びで包む、そんな方角が好ましい、
私にはそう思えてなりません。
桁外れの天才なのでしょう。
でも、そう思ってしまうのは、私の心なのですから、
しかたがありませんね。
by Hologon158
| 2011-10-24 17:04
| ホロゴン外傳
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