わが友ホロゴン・わが夢タンバール

281.14 ホロゴン外傳23「2011年11月6日スピード・アナスティグマート25mmF1.5が入城」14 臨死体験



立花隆「臨死体験」(文春文庫)、長いことかかって読んでいます。

ケネス・リングという学者が、立花との面談で、
臨死体験について面白いことを言っています。

    「人間が健康な状態にあるときの日常的な目覚めた意識があると、
     それにおおい隠されて見えない現実が、
     (死に直面して)そのような状況下ではじめて見えてくる、
     ということがあるのではないか?
     それは、ちょうど夜になると、
     空に光が光って見えてくるようなものです。
     つまり、日常的な意識が目覚めた状態にあるときには、
     我々の認識は強烈な感覚入力に圧倒されて、
     本当は見えるはずの内的宇宙の広がりが見えていない。
     肉体的な死の接近とともに、
     それまで太陽のように輝いていた日常的な感覚能力、
     認識能力が姿を隠し、それによってはじめて、
     真の内的宇宙が見えてくるのです」

なんて、分かりやすくて、しかも独創的なアイデアでしょうか?
こんな意表を突いた言葉を読むと、嬉しくなってしまいます。

私は、この本を最初に紹介したとき、
臨死体験は、死の現象ではなく、
生の現象であると考えているいう風に書きました。
まだ、その意見を覆すに足りる材料にはぶつかっていません。

でも、私の考えが単純すぎることだけは納得できました。

    分かってきたことは、
    臨死体験はかなり普遍的な現象であること、
    その理由、原因を端的に解明できる成果はまだないばかりか、
    さまざまの複雑なファクターが絡んでいるらしいこと。
    否定的、悲観的な臨死体験というものはほとんどなく、
    肯定的で、楽観的な体験であること。

ここで、また、私は単純に考えてしまいます。

    もし臨死体験というものがとても明るいものであれば、
    そして、それがかなり普遍的な現象であるとすれば、
    死というものは、もともと不可避なのですから、
    とても明るい未来が待っているということ。
    死は怖いものではないのですから。

問題は、その後に待っているものは、

    無か、それとも来世か?

ここでも、単純に考えてしまいますね。

    どっちでもいいじゃないの?
    どちらにせよ、かなり明るい見通しが立ちそうなのですが、
    どうせ逝ってからでないと分からないのなら、
    死後のお楽しみに残しておいたらいいんじゃないでしょうか?

とはいえ、まだ下巻が残っています。
この見通しが暗くならなければよいのですが.........



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by Hologon158 | 2011-11-08 21:29 | ホロゴン外傳 | Comments(0)