わが友ホロゴン・わが夢タンバール

283.13 ホロゴンデイ78「2007年8月4日伊賀焼きの里で少し撮りました」13 やりすぎだって!

おかしな記事を2つ見付けました。
というより、おかしな画家と写真家。

まず、画家。
もう写真にしか見えない! 天才画家の油絵がスゴすぎてヤバイ!!
(http://www.excite.co.jp/News/net_clm/20111121/Rocketnews24_154417.html)

次に、写真家。
どう見ても山水画にしか見えない! 中国人カメラマンの写真がすごい
(http://rocketnews24.com/2011/10/25/145222/)

どちらも本当にその通りなのです。
もちろん原画を見てみないと、ほんとのところは分からないのですが、
どちらも大変な評判のようです。

工夫とご苦労のほどは分かりますが、
区別がつかなくなったら、お終いではありませんか?

まるで、絵の理想は写真であり、
写真の理想は絵、と言わんばかり。

絵と写真とはまったく別ものであり、別の理想があるのでは?
画家の絵を見て、こうほめてあげてください、
「まるで写真のようですねえ! 凄い!」
ほとんど99%の画家は激怒するでしょう。
「私の絵は写真じゃない!」

写真も同様です。
写真で表現したいものって、絵で表現できないものではありませんか?

よく「瞬間の芸術」と言います。
でも、その意味は、一瞬のシャッターチャンスをものにする、
というような表面的なものではないように思います。

ある一瞬の光景を写し取ることで、
その光景が孕む、この光景に内包される、過去・現在・未来の
豊かな時間性をなんとかして感じさせたい、
これが写真家たちの努力してきたことではないでしょうか?

この記事の写真家ドン・ホンオアイ氏の写真は静寂に満ち、
たしかに絵のようです、というより、絵にしか見えません。
時間が、動きが止まって見えます。
でも、これって、ピクトリアリスムの再現ではないでしょうか?

それなのに、なぜそんな古めかしい手法が人気を呼ぶのか?

どうやら、森山大道を一つの頂点として、究極まで高まった、
ストレートフォトグラフィの赤裸々さ、汚さ、臆面のなさ、
人間の消極的ファクター、怒り、不安、恐怖、汚辱への傾斜に、
反発する人たちが居て、そのアンチテーゼのような絵画的写真に、
砂漠にオアシスを見付けたように随喜の涙を流しているのでは?

そう考えると、絵画の方の写真への傾斜も、同様に読み解けそうです。
ピカソが開いたアンチ芸術への道が百家争鳴の修羅場を呈している
美術界に、抽象性を完全に捨てた具象芸術として、
一服の清涼剤のように受け取られているのではないでしょうか?

絵画と写真のどちらの分野でも、
心にあたたかい灯火を点すようなアートは姿を消してしまいました。
鑑賞者を置き去りにして、
限界なしのアイデア勝負の世界に踏み込んでしまったかのようです。
簡単に言えば、「目立ちたがり屋の独壇場」になりつつある、
と言えば、意地悪すぎる見方でしょうか?
現代世界そのものがそうで、その反映としてアートが生まれる、
ということであれば、
現代社会の人間不在はさらに進行しつつあるということになりそうです。



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by Hologon158 | 2011-11-21 17:54 | ホロゴンデイ | Comments(0)