わが友ホロゴン・わが夢タンバール

289.21 ホロゴン外傳25「2011年12月17日大阪十三でズミルックス筆下ろし」21 それで十分



フランスの小説「優雅なハリネズミ」で、
ロボグラフィの格好の説明を見つけました。

女性主人は、パリのマンションの管理人。
ある理由から、深い知性と美しい心を隠して生きてきました。
このマンションに入居した日本人富豪のオヅは、
彼女の美しい心を見抜き、次第に愛するようになり、
ついにデートすることとなって、
美しく装った女主人公とマンションから出かけようします。
そこに偶然マンションの入居者が来あわせます。
オヅと言葉を交わすのですが、
横にいる女性がいつも会っている管理人とついに気づかない。

別れたあと、女性主人公がこのことを言いますと、
オヅは言います、

   「人を人として見ていないのです」

   つまり、機能、役割で人を見分けるだけ。
   その人間が本当はどんな人間性をもっているか、
   そんなことは考えもしないのです。

ロボグラフィに当てはめてみましょう。

路傍のものや人を、たいていの方は機能で見ています。
壁だ、ゴミ箱だ、花壇だ、石段だ......

私は、そんな機能をすべて忘れて、
その形、存在、エネルギーを見ます。

たとえば、ゴミ箱。
ゴミ箱だ、ゴミを入れる箱だ、汚い。
そんな風に考えない。
ゴミ箱だ、おもしろい形だ、
しっくりと周囲にとけ込んでいる。
かなり古い。
置かれたから何十年もそこにあるみたいだ。

そこに独自の存在、独自の個性、独自の生きざまを見ます。
だから、撮ります。

十数年前からそんな写真を撮ってきました。
アマチュアカメラマンの知り合いに偶然出会って、
パソコンプリントで見せたことがあります。
その人、十数枚をちらちらと流し見てから、
なんとかせりふを絞り出しました。

   「わたしもパソコンプリントしてみようかと思っています」

これ以外に言葉が見つからなかったのがおもしろいですね。

たいていの方が同種の反応を示します。
私の写真に写っているものたちを、その役割だけで見るので、
なんでこんな汚いものを撮るだろう?
こんな体験を重ねると、人に見せることなど、
念頭からきれいさっぱりと消えてしまいます。

逆に、私自身が自分の写真を見て、楽しむことに徹します。
それで十分。



289.21 ホロゴン外傳25「2011年12月17日大阪十三でズミルックス筆下ろし」21 それで十分_c0168172_22551499.jpg

289.21 ホロゴン外傳25「2011年12月17日大阪十三でズミルックス筆下ろし」21 それで十分_c0168172_2255047.jpg

289.21 ホロゴン外傳25「2011年12月17日大阪十三でズミルックス筆下ろし」21 それで十分_c0168172_22544541.jpg

by Hologon158 | 2011-12-24 22:55 | ホロゴン外傳 | Comments(0)