304.04 ホロゴン81「2005年10月22日にも昨日と同じ京都西陣をうろうろと」4 会議は踊る
同志社大学の南界隈で、3個所、同じ作りの塀を見つけました。
オルメカの遺跡ではないか?
そう思いましたね。
オルメカ人のような、ごつごつとした人頭が並んでいたからです。
今でもあるのでしょうか?
先週土曜日歩いたときには、見かけませんでした。
会議は終わったのでしょうか?
私は、大スプーンを朝昼晩通して、スッカラで通しています。
韓国スプーン。
京都の骨董品店で偶然、スッカラを見つけて、
その形に心を奪われてしまったからです。
真ちゅうだったと思いますが、一枚の板をたたき出して、
楕円形の頭と、とても細くて長い柄に成形したものです。
ごつごつとした感触、
不定型、不規則に鈍く輝く表面、
食べ物を口に運んだときのやわらかな感触、
いかにも武骨で、だけど、心のこもった手作り。
店主が、韓国の田舎に行って求めてきたものだそうです。
このスッカラを手に取り、さわり、眺めていますと、
これを作り、使ってきた人たちの生活、人生、心が、
形はなさないけど、なにかやさしい気配となって、
私の心にじかに伝わってくるような感じがしてきます。
心を込めて作られた手作りのものって、みんな同じですね。
これが人間の文化を形づくる伝達方式なのでしょうか?
このように考えると、深刻な疑問が浮かんできます。
使い捨てメカニズム中心の文化って、なんでしょうか?
そんなものが文化になるのでしょうか?
by Hologon158
| 2012-02-20 11:58
| ホロゴンデイ
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