317.18 ホロゴン外傳39「2012年4月21日ダルメイヤーが十三に乗り出した」18 ここで撮ろう!
以前、荘子に書かれている牛の解体職人の話を書いたことがあります。
庖丁
彼の言葉をよく考えます。
「牛の解体を始めた頃、牛しか見えませんでした。
それが三年になりますと、完全な牛は目に映らなくなりました。
今では、心であしらい、目では見ません。
目の働きが止むと、心が澄みます」
写真を撮るとき、これと同じことが実現すればいいのだけど、
よく、そう考えます。
「牛しか見えない」というのはどういうことなのでしょう?
目の前にあるものを、そのものとしてしか見えない。
だから、写真に撮ったときに、どんな風になるのか、
それが見えないということではないでしょうか?
「心であしらう」というのはどういうことなのでしょう?
目の前の情景全体から醸し出されてくるなにかを、
心で感じるということではないでしょうか?
初心者の頃、三脚を立てて、ファインダーをのぞき、
余分なものが入っていないか、
どうすれば、しっかりとした構図になるか、
四隅までよく見なさいと教えられたものです。
でも、実際には、そんな風にしたからと言って、
満足できる写真が撮れたわけではありません。
ファインダーで、邪魔者を見つけて処理するという行為、
撮影後にトリミングするのと、まるで変わらない。
そうではなくて、なにも考えないのに、
正しい位置まで直行して、
そうだ、ここだ、
ここで撮ろう!
そんな直観。
そして、写真の構成など考えないで、無造作に撮ったら、
それが自分の心にドンピシャリ、そんな撮り方をしたいものです。
慣れとか技というものではないようです。
昔からよく言う「写真の心」
こんな風に考えるのは、とても簡単。
でも、実行できる人がどれだけいるだろうか?
考えてしまいます。
私は、こんな風に、写真の心を持ってはいないので、
まるで別のやり方で、写真を撮ります。
写真を撮るのではなく、
「良いもの見つけた!」遊び。
そのとき、ついでに写真を撮る。
ホロゴンでは、このやり方がとても自然にできます。
ノーファインダーで撮れるレンズでも同様。
でも、一応ピントを合わせたいカメラの場合、
どうしても画面を見てしまいます。
そこで、拡大ビューで、中央だけを大きく拡大して、
ピントを合わせて、即座に撮ります。
周辺など、どうでもいい。
でも、不思議ですね。
写真人生の半分以上、
ファインダーで構図をとる練習をしてきたせいでしょう、
どんなに勝手気ままに撮っても、
一応、構図らしいものがある写真が撮れてしまいます。
もしかすると、「写真の心」の半分位はあるのかも知れません。
by Hologon158
| 2012-04-30 00:52
| ホロゴン外傳
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