346.07 ホロゴンデイ86「2010年7月3日ホロゴンとゾナーが雨の名張を荒らして」7 アートを自前で
前回に、人目でそれと分かるものだけがアートだと書きました。
おかげで、私にとって、アートはとても少ない。
もちろんじっくりとつきあって初めてその真価が分かる、
そんなアートだってあるでしょう。
私は、アートとのつき合い方を自己抑制して、
世界を自分で狭くしているのかもしれません。
でも、じっくりつきあわなくても、
本物のアートであれば、いつか再会したとき、
私の心がぐっと躍ることだってあるでしょう。
私がアートに追いついたのでしょうけど、
逆に、アートが私に追いついたのかもしれません。
世の中にはアートの裁定者をもって自認する人がどっさりおられます。
我が輩がアートだと言ったら、誰にとってもアートなのである。
それがアートに思えないのなら、それはあんたに目がないだけなのである。
こんな自信に満ちた皆さん。
私は、自分の美、自分のアートを自前で調達することにしています。
大評論家が本物のアートだと保証しているから、
納得がいかないけど、いいものなんだなと思わなきゃ、
そう思いにくいのは、自分が至らぬせいなんだ、なんて、
ばからしいじゃありませんか?
写真については、ある全国組織の写真クラブにしばらく所属して、
つくづく知りました、
1 写真に、基準などない。
2 一人一人、よい写真の基準をもっていて、たがいに水と油。
写真というものはどうやら、
撮影者が自分の夢を見る方法なのです。
一人にとって美しい夢は、
別の一人にとっては悪夢、
そんなことがいくらでも起こります。
私の写真など、多くの方には悪夢以外の何ものでもないのでしょう。
仕方がありませんね。
私だって、人の写真についてそう感じることがあるのですから。
ということで、こうも言えそうですね。
写真とは、撮影者が抱える悪夢をてなづける方法である。
by Hologon158
| 2012-06-22 17:53
| ホロゴンデイ
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