346.09 ホロゴンデイ86「2010年7月3日ホロゴンとゾナーが雨の名張を荒らして」9 絶対ナチュラルの写真
写真を撮る人には2種類あります。
構成写真を企画するタイプと、
出会い写真で満足するタイプ。
写真家の大半は前者です。
ライフのドキュメンタリー写真家であるユージン・スミスが、
撮った感動的な水俣の母子像も、照明をいくつも配置して、
慎重に舞台設定した上での撮影だったことは有名です。
真実を正しく伝えるためには、
それなりの準備、設定を行うべきだ、そういう考え方なのでしょう。
たいていのドキュメンタリーは、多かれ少なかれ同種の撮影。
撮られる側が撮影者を意識して、行動するのですから、
どうしてもある種の構えが無意識の間に生まれるのは当然です。
ユージン・スミスは、そのうえ、引き伸ばし時点で、
自分の撮影意図に沿った画像を作り出すことに腐心したことでも有名。
けっきょく、作家なのです。
カルティエ=ブレッソンは、同意を得て撮るドキュメンタリーの場合でも、
撮られる側が撮られるという意識をふっと忘れた瞬間を撮ったようです。
こちらは、了解の下に撮られるドキュメンタリーでも、
出会い写真の自然さを確保したいというタイプ。
私は、終始後者で通してきました。
やらせ、細工、演出はしない。
できれば、気づかれない瞬間を撮りたい。
それでも、根底においては、ユージン・スミス派なのでしょう。
ただ適性露光で撮っただけでは、自分の気持ちにまるでそぐわない。
露出補正して、周辺減光をさらに強め、
それでも不足のときは、画像ソフトでさらに暗めにする。
これ以上の細かい画像処理は一切しないのですが、
やはり手を加えることに違いはありません。
銀塩フィルムのスキャン、
スキャン画像のデジタルプリント、
デジタルカメラのRAW現像、
これらもすべて、同種の加工が加わるのですから、
絶対ナチュラルの写真などあり得ません。
いや、私は正確な現実再現だけを目指していると主張される方だって、
その作品はどこまでも写真で、現実とははっきり異なっています。
私の場合、それでも、せめて撮るときだけは、細工をしたくない。
ただ、それだけのことかも知れませんが、
それにこだわりたいですね。
人をだませても、自分はだませませんから。
by Hologon158
| 2012-06-23 11:50
| ホロゴンデイ
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