わが友ホロゴン・わが夢タンバール

366.14 ホロゴン外傳90「2012年8月4日フォコター50mmf4.5日本橋で勇み立ち」14 空前絶後の名作



前回の作風変更論ですが、それとも、こうかも知れません。

ピカソだって、佐伯だって、
美術史上の巨人たちを見据えていたかも知れません。

巨人と言われるほどの画家たちは、超絶的、空前絶後の名作を残しています。

   ボッティチェリの「春」
   レオナルドの「モナ・リザ」「最後の晩餐」「聖母子像」
   ラファエロの「アテネの学堂」
   ミケランジェロの「最後の審判」
   ベラスケスの「ラス・メニーナス」
   フェルメールの「デルフトの光景」
   レンブラントの「夜警たち」

ピカソだって、佐伯だって、そんな超絶的、空前絶後の名作を創りたい。
でも、この作風じゃ、とても無理だ、
傑作はどんどん創作できるけど、空前絶後の名作はとても覚束ない。
そう感じたとき、次の作風に移っていった、
そう考えることもできるのではないでしょうか?

ピカソも佐伯も1つの作風で作品を数知れず創っています。
今度こそは、今度こそは、と念じつつ、
不撓不屈の精神で信じがたいほどの量の作品を生み出しました。
でも、万人を納得させるだけの高みに立つことは、
ついにできなかったのではないでしょうか?

私が一番驚異に思うのは、レオナルドです。

   彼の作品は、他の画家に比べると、驚くほど少ない。
   フェルメールよりはるかに少ない。
   それなのに、全部作風が違うと言ってもよいほどに違います。
   その画材にふさわしい描法をその都度生み出したのではないでしょうか?
   そして、その作品のほとんどが、人類の至宝。

ラファエロは、レオナルドの作品を見ると、青ざめたそうです。
後世の画家たちには、
レオナルドは神秘以外のなにものでもなかったでしょう。

とくにピカソは、20世紀最高の天才を自負していただけに、
レオナルドを見るにつけ、はるかな高みを仰ぎ見る思いだったでしょう。
そんなレオナルドを凌駕するために、
次々と作風を遍歴していった、そう考えるのは筋違いでしょうか?




366.14 ホロゴン外傳90「2012年8月4日フォコター50mmf4.5日本橋で勇み立ち」14 空前絶後の名作_c0168172_1851124.jpg
366.14 ホロゴン外傳90「2012年8月4日フォコター50mmf4.5日本橋で勇み立ち」14 空前絶後の名作_c0168172_18505638.jpg
366.14 ホロゴン外傳90「2012年8月4日フォコター50mmf4.5日本橋で勇み立ち」14 空前絶後の名作_c0168172_18502048.jpg
366.14 ホロゴン外傳90「2012年8月4日フォコター50mmf4.5日本橋で勇み立ち」14 空前絶後の名作_c0168172_1850131.jpg
366.14 ホロゴン外傳90「2012年8月4日フォコター50mmf4.5日本橋で勇み立ち」14 空前絶後の名作_c0168172_1850365.jpg
366.14 ホロゴン外傳90「2012年8月4日フォコター50mmf4.5日本橋で勇み立ち」14 空前絶後の名作_c0168172_18495879.jpg
366.14 ホロゴン外傳90「2012年8月4日フォコター50mmf4.5日本橋で勇み立ち」14 空前絶後の名作_c0168172_18495417.jpg
366.14 ホロゴン外傳90「2012年8月4日フォコター50mmf4.5日本橋で勇み立ち」14 空前絶後の名作_c0168172_18501724.jpg





       [後書き]
           筋違いでしょうね。
           誰かそんなことを言った方がいるでしょうか?
           私が今ふっと思いついたような、ただの思いつきが、
           もし真相をうがつものであれば、
           すでに誰かが唱えていて当然ですからね。
           私のただの頭の体操とお考え下さいね。
by hologon158 | 2012-08-18 18:55 | ホロゴン外傳 | Comments(0)