わが友ホロゴン・わが夢タンバール

368.08 ホロゴンデイ90「2008年1月19日 冬枯れの葛城古道は寂寥の地だった」8 欠けてはならない


今日は一日ゆったりと過ごしました。
ブログ記事もどっさり作ることができました。

ほとんど誰も来ない、誰も読まないブログを営々として続ける。
誰も撮らないようなトリビアルな写真を陸続として掲載する。
端からは、不毛な作業のように見えるかも知れません。

でも、これは私の、いわば生きている証し。
大げさに言いますと、私は神様と同じスタンスなのです。

    宇宙の時空の隅々まで見はるかし、
    その因果関係のすべてを把握する神にとって、
    宇宙のすべての存在、果ての果ての小さな塵に至るまで、
    すべてが宇宙の因果関係をになっていることを知ることができます。
    何一つ欠けてはならない。
    どこか1つの因果が1つ躓いたら、
    宇宙はがらりと様相を変えるのですから。

だから、イエス・キリストも仏陀も、アンドロメダ星雲のある星のミチル君も、
神にとっては、重要性においては変わりがない。

人の人生だって同じですね。
私が何をするかはとりあえず重要ではありません。

例えば、1万円の慈善行為をとってみましょう。

    ある少年は、なけなしのお小遣いやお年玉を1年間貯めて、
    このお金を作ります。
    寄付した後、どんな風に使ってくれるだろうか、
    誰か幸せになれるだろうか、いつまでも考えています。

    あるお金持ちは、株で1億円をもうけたその日、ふと思い立って、
    財布から1万円取り出して、ポンと寄付して、
    さらりと忘れてしまいます。

どちらも外観は同じ行為です。
でも、意味が、重みが違うではありませんか?
結局は、その人の生き方が値打ちを決めます。
外観ではありません。

なにをするか、ではなく、いかにするか、これが問題です。
ブログには、そんな意味での重要性はありません。
あくまでもプライベートな楽しみ。

    でも、始めた限り、好い加減にはしない、
    徹底的にする、続ける、これが大切です。
    私はそう考えます。

どんなことをやるにしても、同じやり方でやりたいものです。
だから、ブログでは、
自分が撮ってあげたロボグラフィをできるだけブログに掲載したい。
それが、ロボグラフィたちに対する愛情表現。




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by hologon158 | 2012-08-19 21:53 | ホロゴンデイ | Comments(0)