わが友ホロゴン・わが夢タンバール

383.03 ホロゴンデイ93「2011年10月16日梅田の夜の町北新地を昼歩く」3 腹の底から



言葉の重さって、なにも低音でどっしりと語るからではありません。

たとえば、オーソン・ウェルズのような堂々たる重低音でも、
たわごとだったら、軽い。

金切り声できーきーと叫んでも、
その言葉に真実がこもっておれば、
人の心に重く突き刺さるでしょう。

ドラマでもそうです。
セリフをきっちりと覚えて、流暢に語ったら、それで重くなるわけではない。
今、その人の心からわき上がってきた、そんな言葉として語られて、
初めてセリフは重くなります。

宇野重吉がメニューを読んだら、劇団員たちが涙したと言います。
一に心、二に心なのでしょう。

坂本龍馬や西郷隆盛が若輩の身でありながら、
人々に大きな感銘を与えたのは、人となりもさることながら、
その言葉に真実がこもっていたからでしょう。

「希布の一諾」という言葉があります。
秦末漢初に生きた任侠の武将ですが、
「よし、引き受けた」と言った言葉は必ず守りました。
だから、この言葉ができたのですが、
これは彼の一生の資産だったわけです。

つまり、どうやら言葉の重みの基盤は真実にあるようですね。
その逆が、例の「Trust me!」
初めから守るつもりの無かった言葉で、
鳩山さんは空気よりも軽い存在になってしまいました。

桂銀淑さんの言葉には、
真実その気持ちになっているという感触があります。
韓国人なので、日本語の歌詞を1つ1つ意味を辿り、
文脈を確かめ、じっくりとその感情に付き合ってから、
歌を完成していったのではないでしょうか?

    気持があって、その気持ちが歌詞となり、歌になっている。

たいていの歌手は、その逆です。

    歌があって、ただその歌詞を辿っているだけ。

写真だって、そうですね。

    気合いが入って、
    被写体とがっぷり四つに組んで、
    腹の底から対決している写真は違います。
    ぐいぐいと見る者の心に食い込んできます。

いつか、そんな写真を撮りたいですね。




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by hologon158 | 2012-10-01 20:37 | ホロゴンデイ | Comments(0)