わが友ホロゴン・わが夢タンバール

419.08 ホロゴン外傳104「2013年2月23日 難波、心斎橋をスーパーアンギュロンまかり通る」8 古代


バイブルの朗読を聴いていて、とても面白いと思うことがあります。

   神の民は、現代人が美徳と考えるようなヒューマニズムや倫理とは
   無縁の世界で生きていますね。

   旧約聖書は神の民の事績を集積した史書の性格があります。
   欺瞞、裏切り、虚言、二枚舌、近親相姦、背信、殺人、なんでもあり。

聖書がいつの時代にどんな経緯で書き記され、
編纂され、成立したか、私はまったく知りませんが、
ギリシア的な徳性も、中国的な道徳もまったく影も形もありません。
枠組みとしてのお仕着せの倫理がないからでしょうか?

先祖をことさらに美化しようとするところがないのが好ましい。
そんな倫理概念が成立する前の人々の生き方が赤裸々に描かれていて、
かなり古代世界に成立したものであることは間違いがないようです。
でも、肉親愛、夫婦愛、恋愛、友情、羨望、憎悪、信頼、不信、疑惑、といった
人間的感情はたっぷりと描かれていて、
古代の人たちも生きていたんだなあと実感することができます。

よくよく考えてみますと、
紀元前数世紀以前の古代にこれだけの赤裸々な人間模様を記録した民族は、
中国人、ギリシア人、ユダヤ人、エジプト人、メソポタミアの諸民族だけ、
と言えそうです。

一種のドキュメンタリーでもあるのですが、
一番不思議なことは、人間たちに混じって、神が登場すること。

   ほとんどの古代文明で神が登場し、人間たちとコミュニケートします。
   でも、不死であり、まさに神出鬼没の超越的存在であることは共通しています。
   どうして古代人たちは神という存在を発見したのでしょうか?

   たとえば、天地創造の神話をどうして古代人は知ったのでしょうか?
   ヤコブは、天上から降りてきた何ものかとレスリングをとって負かし、
   モーセは神と親しく対話し、
   ヘラクレスは、タイタン族のアトラスに負けずに、天を支えることができました。

人間はかなり神に近い存在でもあったのです。
現代では、人間は神という存在からはるか遠い存在となってしまいました。
現代は古代よりもはるかに便利になったわけですが、
精神は無力化し、卑小化し、
古代よりもはるかにミニチュア化してしまったようです。

せめてバイブルやホメーロスから、
神と正面から向かいあって生きていた古代人たちの息吹を味わうことで、
出口なき迷路に落ち込んでしまった現代の終息感から逃れたいものです。




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by Hologon158 | 2013-02-28 21:59 | ホロゴン外傳 | Comments(0)