わが友ホロゴン・わが夢タンバール

423.03 ホロゴンデイ101「2006年1月21日 大阪天王寺公園界隈をホロゴンまかり通る」3 ただ見つめ合う



今日偶然日本のテレビドラマを見る機会がありました。
たった5分間程度ですし、途中からいきなり見るのですから、
訳がわかりません。

    女性主人公らしい女性はなかなかの美貌です。
    なぜかばったりと男性主人公らしき人物と出会います。
    2人とも何も言わず、ただ見つめ合います。
    2人の表情にはなんも浮かんできません。
    ただ、見つめ合うだけ。

一体どうしてこんな風に能面のように突っ立っているのか?
日本人に感情が欠如しているとは思いません。
ただ、これらの俳優さんたちに感情が欠如しているだけ。

役柄になり切る、なり切らないの問題ではないはず。
なり切ったからと言って、観衆がその気持ちを汲み取れないかも知れません。
俳優って、もっと複雑微妙なプロセスで感情表現するはず。

    A役柄になり切り、その感情に没入する一方で、
    Bその内面の感情を観衆に読み取れるようにするにはどうすればよいのか、
     これを冷静に吟味しつつ、表情、振る舞いを選択する。

    A自分を内面で感じつつ、全身全霊をあげて演技しながら、
    B外部から自分を眺めて、観衆がさらに読み取りやすくなるように、
     演技を微調整する。

さらに、演技は独りでするものではありません。

    2人またはそれ以上の登場人物がさまざまに絡みます。
    そのために、どう動くか、どう演じるかが演出されるのですから、
    自分の感情だけに没入することは許されません。

昔から、ただ見つめ合うシーンが多すぎます。
ぎこちないセリフ回しの人が多いので、やむを得ない演出かも知れませんが、
見る側は、状況を判断して、
ああ、ここでは2人とも万感胸に迫るものがあって、言葉が出せないんだな、
なんて、勝手に善解してあげなきゃならない。
つまり、演技のつたなさを見る側の常識で補完しなければならない。

本当の俳優がやるドラマは、こんなものじゃありません。

    自分で体験したくてもできないようなドラマチックな状況にあって、
    人間がどんな感情の起伏を見せるのか、という、
    未知の体験を味わい、人間性への理解を深めることにより、
    主人公たちの悲劇、苦労、苦悩を自分で体験できるのです。

原節子(晩春)、
キャサリン・ヘプバーン、
イングリット・バーグマン、
アリダ・バリ(第3の男、かくも長き不在)、
沈黙の中、ひとみだけで演技できる名優たちが一杯います。

そこまで行かなくてもよいのですが、
なんとか学芸会風演技からもう少し脱出してほしいものです。




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by Hologon158 | 2013-03-20 10:23 | ホロゴンデイ | Comments(0)