わが友ホロゴン・わが夢タンバール

427.17 ホロゴン外傳107「2013年3月30日 スーパーアンギュロン21mmf3.4が天神橋を渡った」17 あなたは水



朦朧と過ごしています。

千住博さんの「The heart of the Painging」(世界文化社)を読みました。
その最後あたり、「美」について書かれています。
ギリシアの叙事詩「オデュッセイア」に美の役割が論じられているのだそうです。

    「だそう」と書いたのは、私はこの叙事詩を少なくとも数回は読んだのですが、
    不覚にもまったくその記憶がないからです。

こうです、

    A 美は人の命を新しくするものでなければならない。
    B 美は人々に伝えたくなるという気持を抱かせるものでなければならない
    C 美は、常に人々にそれを初めて見たという感動を与える
     ものでなければならない。

Aは当然ですね。

    写真を撮る人は誰だって、
    美しいものを見つけ、美しい写真を撮りたい。
    写真にのめり込むきっかけは、多くの人にとって、
    自分がこんなに美しい写真を撮れると思わなかった、
    そう心から驚愕するような写真が撮れたときではないでしょうか?
    そんな写真は、私たちに新しい世界への扉を開いてくれ、
    生きるエネルギーを与えてくれます。

Bについては少し疑問。

私はだんだんと気づくようになっていったのです。
自分が、人が美とは認めないようなものばかり撮っていることに。

    どうもかなり多くの人は、美は普遍的なものだと考えているようです。
    本当の美は、誰もが美しいと思うものだ。

もちろん写真が常に美のみを追求しているわけではありません。
写真の社会性、思想性、表現性ゆえに、
写真を社会のさまざまな分野で有用な機能を担っています。
でも、純粋に耽美的な気持で撮られた写真にも、
その写真家の美意識についていけない、そんな写真が一杯あります。

私もそんな写真を撮っていることに気づいたとき、
私は美の普遍性を疑うようになりました。

    私の美も、私の命を新しくしてくれます。
    でも、別に人々に伝えたいという気持は起こりません。
    私一人の美であって、なにが悪い?
    むしろ本当の美は私一人のものにしておきたい。
    そんな気持ですね。

Cに言う「美」というのは、むしろ純粋アートの美ではないでしょうか?

    私は自分の生活の隅々まで美で満たしたい。
    そんな美が私を元気づけ、生きる勇気を与えてくれます。
    でも、別に「初めて見た」という気持ちになる必要はない。
    これはむしろ偉大な芸術作品の場合に言えることです。

たとえば、写真世界で、
それほどまでに衝撃的な印象を与える美がどれだけあるでしょうか?

    むしろ何度観ても、それを何度も見たことが大きな跳躍台となって、
    さらにその美の印象を深める体験を味わえる、
    そんな美だって一杯あり、それも美ではありませんか?

写真家の中には、絶対に同じものを撮らず、
同じ撮り方をしない、と心がける方がいます。
マンネリズムを避けたいという気持ちでしょうか?
尊敬しますが、私は考えます、

    別にそんな風に気張らなくてもいいじゃない?
    同じものを同じように撮っても、どこか違うものです。
    それを自分で気づくことができるなら、
    自分の心が折角動いているのに、
    それをセーブする必要などなくなります。

    我が子、我が孫を見たら、
    その都度、心は愛に満たされるじゃありませんか?
    美も同じです。
    私にとって、美しいものはいつまで経っても美しい。
    だから、いつでも撮る価値があります。

そんな気持ちだから、この2年間ばかり、
出勤のたびに数十枚から、ときには200枚ばかりも撮ってきました。
同じ場所で何度も何度も、同じ写真を撮っても、飽きません。

そこで、こんな風に考えます、
千住さんの上げた美の定義はアーチスト向けじゃないか?
ノンアーチストにとっての美の定義はすこし違うんじゃないか?

私の定義はこうです、

    美とは、
    A 美は、私の命を新しくするものでなければならない。
    B 美は、心の中に永遠に留めたいという気持を抱かせるものでなければならない。
    C 美は、常にそれを見るたびに、感動を与えるものでなければならない。 

主体が「人」から「私」に変わっていることにお気づきでしょう。
私が美と思うものを人がどう思うか、そんなことは私には無関係。
私は自分の人生を新しくし、再生し、輝かせてくれるものであって欲しい。

そこで、もう一つ、定義に加わります。

    D 美は、人それぞれに違うので、人がどう思うかなど考える必要がない。

美は、ある意味で、最初の定義による美よりももっと広大なものであり、
ある意味で、最初の定義による美とまったく重ならないかもしれないのです。
私の場合、かなり重ならない感じがしますが、
それは私が独特であるとか変わっているということではありません。
たまたま私が自分の美を盛大にブログアップしているから、そう見えるだけ。

    実は、あなたの美だって、
    最初の定義による美にほとんど重ならないかも知れないのです。

超人気アートが来日したときの美術館には人が殺到します。
このような場にたまたま居合わせたことが幾度かありますが、
その都度、とても居心地を悪い想いをしたことを思い出します。

    かなりの人が途方に暮れているのです。
    これ凄い美術作品なんだから、美しいと感動しなきゃならない。
    でも、どこが凄いのか、分からない。
    美しいはずなんだから、有名なんだから、
    それが分からない私にはアートを観賞する力がないのかも知れない。
    でも、そんなことは人に気づかれたくない。
    こんな内面の葛藤から、とてもニュートラルな表情にさせている、
    そんな人が沢山おいでになるからです。

なぜ、そんなことが起こるかと言えば、

    根底に、美術史が、評論家が、権威が「傑作」であると認めたものは、
    傑作なんだから、それを勉強して理解しなければならないという、
    考え方があるからです。

私は競馬を楽しむことはしませんが、

    競馬観戦を趣味にしている人に尋ねました、
        「競馬新聞なんかで、専門家たちが予測してるけど、
         あれ、当たるの?」
    彼、平然と、
        「ほとんど当たりませんね」
    これとまったく同じです。

アートは、専門家たちがアートと宣言するから、アートなのではありません。
    その証拠に、彼らが絶讃したことで時代の寵児となったアーチストの内、
    幾人が後世においても偉大なアーチストとして生き残っていますか?
    むしろ専門家たちに認められなかった天才たちの方が多いのでは?

芸術を愛する大衆がそれぞれに自分の美を見つけて、
そんな一人一人の美意識が時代を超えて潮流を作り出すからなのです。
この宇宙でもっと小さい水分子が集まって、大海原を作り出すようなものです。

どんなに水分子が小さいか、計算した学者がいます。

    たとえば日本海の水をコップ一杯汲んで、1つ1つに印を付けて、
    もう一度戻し、世界中の海の水を完全に攪拌してから、
    南米大陸の向こうの浜辺でコップ一杯汲んだとき、
    そのコップに印つき水分子が含まれるか?

    含まれるはずがあるものか!
    どなたもそう思うでしょう、私もそう思いました。

    答えは、100±10なんだそうです。
    そんなにも微小も微小、超々々々々極微なのです。

私たちはその水分子です。
    現代世界では数十億分の1の存在なのです。
    社会の片隅にひっそりと生きている。
    だけど、そんな私たちの人生が他の人の人生と織りなされて、
    文化を生み、歴史を創造するのです。

英雄たちだけが歴史を作るわけじゃないのです。
たまたま目立つから、そう思うだけ。

    競馬新聞の予想家と一緒です。
    目立つけど、歴史の邪魔をしていただけかもしれないのです。

ですから、どなたも自分の美意識に自信をもつべきなのです。
それが人と違えば違うほど、さらに自信を持つべきなのです。
あなたの美意識が次代の美的観念に育つかも知れないのですから。

    (風邪で朦朧となった意識がなにかタイプしたようです。
    いつものように、推敲なしにアップしましょう。
    それが今の私なのですから)




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by Hologon158 | 2013-04-06 17:35 | ホロゴン外傳 | Comments(0)