わが友ホロゴン・わが夢タンバール

437.09 ホロゴン外傳112「2013年5月19日スピードパンクロ35mmF2京都北山の雨」9 諸葛孔明



私が記憶する限り、理想のアドバイザーは、

   諸葛孔明ですね。

生涯、全身全霊をあげて、誠心誠意、蜀漢朝のために尽くしました。
彼がいなければ、劉備がしょく漢朝を開くことはできなかったでしょう。

しかし、翻って考えてみると、
劉備が彼を心底信頼しなければ、
孔明はその偉業を成し遂げることができなかったでしょう。
自分を遙かに凌駕する人間をこれほどまでに信じることができたのは、
彼がそれほどに大きな人間だったからです。

   孔明に会うまでの前半生、彼は敗北、苦労の連続でした。
   でも、そうしながらも、政治軍事の豊富な経験を積み、
   数知れない人物に出会って、人を見る目を養い、
   そのおかげで忠実な最高のスタッフを次第次第自分の周りに集めて、
   最後に、孔明に出会ったとき、彼はちゅうちょなく、
   この人物にこそすべてを託すことができると確信したのです。

世を去るとき、継嗣が暗愚であれば、
変わって君主の座についてほしいとまで言い残します。
ほとんどの権臣が喜んでその言に従って、国を奪ってしまったでしょう。
中国史にはその事例が枚挙にいとまがありません。

現に、蜀のライバル国、曹操の開いた魏朝を司馬氏が算奪してしまいます。
その魏もまた、劉氏の後漢から算奪したのですから、
因果は巡る火の車の歴史です。

今から思うのですが、曹操が孔明を起用する可能性もあったのです。

   孔明が曹操の下で同様の処遇を受けたとしたら、
   劉備が蜀漢を建てることもなく、
   赤壁で魏が惨敗して、
   揚子江以南に勢力を伸張できなくなるような事態も起こらず、
   最後には、魏は、劉備、孫権を順次倒して、
   統一王朝を樹立することができたかもしれません。

でも、おそらくそんな事態は起こらなかったでしょう。

   曹操という人は、猜疑心の強い人でしたから、
   孔明に劉備があたえたような権力を託すことはなかったでしょう。
   さらに、曹操の重臣、将軍たちは、
   劉備の配下の重臣、将軍たちが孔明に捧げたほどの献身、
   服従の態度など見せなかったでしょう。

孔明は、劉備が自分に与えてくれた知遇、敬愛に応えて、
全能力を駆使したので、
あれほどの偉大な業績を上げることができたのです。

   こうしたことを合わせ考えると、
   彼もまた使える主君を選んだのであり、
   彼が曹操を選ぶことはありえなかったと言えそうです。

こんな風に考えると、最高のアドバイザーを見つけることは至難であり、
リーダーとアドバイザーの人間性、相性その他計算不能な諸条件が
うまく折り合った、稀なケースにしか成功はないのかもしれません。




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by Hologon158 | 2013-05-24 18:54 | ホロゴン外傳 | Comments(0)