わが友ホロゴン・わが夢タンバール

463.15 ホロゴンデイ108「2010年11月27日大阪玉造の下町はその日なぜか晴れていた」15 招福之助さん



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近頃、素敵な写真を撮る方をお二人知りました。

まず、そのお一人。

正確な記憶はありませんが、
カメラを手にして写真を撮り始めて、まだ一年も経っておられないはず。

あなたが写真を楽しんでおられるとして、
写真を初めて最初の一年にどんな写真をお撮りになりましたか?

    私の場合、写真を初めて数年、
    文字通り訳が分からない五里霧中状態で、
    今、家族写真以外は一枚も残っていません。
    残す価値がなかったからです。

    写真クラブに入って本格的に写真に取り組んで12年間、
    モノクローム3600本を撮り続け、現像引き伸ばしを営々と努力しました。
    そのネガは全部残っています。
    でも、ほとんどゴミの山。
    才能がないと、こうなりますね。

露出計など内蔵されていない、
すべて完全マニュアル操作を強いられるカメラたちだったうえ、
どうやら当時のフィルムもかなり低性能だったようで、
ピントのあった写真を撮ることがまず困難だったのです。

現代では事情は一変してしまいました。

    シャッターを押せば堂々たる高精密、高コントラストの立派な写真が
    誰でも撮れる時代になると、
    カメラを手にした途端、才能があれば、
    優れた写真が撮れる夢のような時代になりました。
    だから、誰でもたちどころにブログが開設できます。
    でも、自分のことを棚に上げて言わせていただきますと、
    ほとんどろくな写真がありません。

    どんなにデジカメの性能が進歩しても、
    写真の才能そのものの代用にはならないということ。

どんな方にとっても、
そして、どんなアートジャンルでも事情は変わらないでしょう。

    一に心、
    二に感性、
    三に才能、
    四、五がなくて、
    六に道具、
    こんなところではないでしょうか?

前置きが長くなりましたが、
今回の主人公は

    招福之助さん。
        (http://photohito.com/user/56578/)

最初に手に入れたのが、現時点における最高の写真の道具、

    ライカMとズミルックス50mmF1.4アスフェリカル

これを使って撮りだした途端に、見事な写真群を生み出しつつあります。

    独特の黒の世界。
    画像はあくまでもシンプル。
    小さなサイズで見るべき写真ではありません。
    むしろせめてA4程度にプリントして、ギャラリーの壁で見るべき写真群。

是非ご覧になってください。

    写真を撮り始めたら、もうスタイルが一貫しています。
    拝見するにつけ、不思議で不思議で、
    一体どうして初心者がこんなアートを生み出すんだ?
    頭をひねってきました。

それには、ちゃんと理由がありました。

    招さん、人形作りの名人だったのです。
    ご本人は「人形師」とおっしゃっています。

仏像でも彫刻でも、いや人間を表現するすべてのアートで、
主題となる人物の顔の表現こそ天下分け目の決戦場ですね。

    主題となる人物のまなざしが私をとらえることが、
    あらゆる傑作との出会いの出発点ですね。
    鑑賞者である私がアートの中の目をとらえるのではなく、
    アートの中の目が私をとらえるのです。
    そうすると、目が離せなくなります。
    真相は、アートの中の目が私を離してくれないのです。

招さんが上記のサイトに制作中の人形の顔を掲載されました。

    複雑な手順で完成に向かってじりじりと近づいてゆく、
    そのプロセスを写真にして掲載しておられます。
    小さな写真ですが、開いた途端に、
    私はその人形の目にとらえられてしまいました。
    次第に魂が吹き込まれていくようで、エキサイティングそのもの。
    まだまだこれからも続くようです。

岡本太郎は、カメラを持つと、最初から完全に写真家でした。
正真正銘のアーチストは、技術が応用できる限り、
他のジャンルでも才能を存分に発揮できるのかも知れません。

    逆に言いますと、才能がなければ、
    どんなジャンルに挑戦しても、成果はおぼつかないようですね。

世の中には、とても器用な方がいます。

    さらさらとピアノを弾きこなし、
    歌も歌い、チェロもそこそこ弾いて、
    さらには二胡にも挑戦して、という風に楽器渡り鳥。
    でも、そこそこできるようになると、もう飽きてしまって、
    次の楽しみに移ってしまいます。
    器用貧乏そのものですが、ちょっとかわいそうですね。

    本当の意味での才能は音楽を感じ楽しむことにありますが、
    その才能が欠けているのです。

私はどうやら写真の才能は十人並み程度なのですが、
自分の写真、人の写真を楽しむ才能ならちゃんと備わっているようです。
そして、写真でだめなら、ほかのなにをやってもだめだ、そうわかっています。
だから、永遠の素人として、いつまでも新鮮な気持ちで写真を楽しむことができます。

私の楽しみの一つは、写真の優れた才能を発見すること。
インターネットでも、そんな才能を幾人も発見してきました。
写真ブログを楽しむようになって、一年にお一人ほどの確率でしょうか?
すでに大ブロガーとしての名声を築いている方は別格。
発見でもなんでもないからです。

    私は、自分の眼と心で、
    人があまり注目しないブログに才能を見つけたいのです。

その最初の一人は、もちろん、a1photoさん
    (http://a1photo.exblog.jp/)

    私の見るところ、彼は今や押しも押されもしない鬼才として、
    着々と名声を築きあげています。
    それだけの努力をして、写真に対する愛情なら誰にも負けないからです。

招さんが、私にとっては最新発見のお一人。

    招さんに申し訳ないのですが、
    願わくば、本業が売れっ子になりすぎて、
    写真を楽しむ余裕がなくならなければよいのですが。
by Hologon158 | 2013-09-24 11:44 | ホロゴンデイ | Comments(0)