わが友ホロゴン・わが夢タンバール

463.24 ホロゴンデイ108「2010年11月27日大阪玉造の下町はその日なぜか晴れていた」24-完-人生のレンジ



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人間には一人一人ダイナミックレンジが違うようです。

    一人の人間をとっても、生きてゆくプロセスの中で、
    さまざまな場面で、
    このダイナミックレンジは広がったり狭まったり。
    ダイヤモンドが無限のバリエーションのカットに応じて、
    変幻自在の独自な輝きに包まれるように、

人間プリズムもまた、肉眼でそれが見えるとすれば、
一人一人の個性を帯びて、
時々刻々と限りなく変容しながら輝いていることでしょう。

    たとえば、悪いたとえで申し訳ありませんが、
    多彩華麗なる女性遍歴の日々を送り、
    歓喜から悲嘆まで激しく揺れ動く激動の精神生活を送っている男、
    この現代ドン・ファンの人のダイナミックレンジを見ますと、
    その面ではたしかに豊かなメロディーを奏でて、
    それなりに豊かなのかも知れませんが、
    次第に不義理を重ね、恨みを募らせて、
    周辺の人間関係に腐食を深めているかも知れません。
    人間としての徳性は次第に貧困となり、品性は下劣となることで、
    自分の心の中にも深い淀みをたたえるようになり、
    いつしか一人ぼっちの寂しい荒野の中に
    ただ一人たたずむ自分を見いだすかも知れません。
    そんな人のダイナミックレンジは日々貧弱になるばかりかも知れません。

私のような一般市井人の生活は、
あらゆる面でつましく代わり映えのしないものなのでしょう。
でも、だからと言って、そのダイナミックレンジの深度が浅い、
と切り捨てることができるでしょうか?

    つましければつましいほどに、
    その心は繊細で深いということは十分にあり得ることです。
    生活は単調で簡素であるとしても、
    その生活の襞の襞までしっとりと感じる心が発達する余地があります。
    人の気持ちを思いやるゆとりとやさしさが身に付くことでしょう。

以前いくつかのベトナム映画を見た記憶があります。

    筋立ては覚えていませんが、
    どちらも貧しい生活を営む主人公の男女たちの
    柔和な表情と繊細な思いやりがとても印象的でした。
    当時、日本人は世界有数の優美繊細な感受性を備えていると、
    自讃する民族でしたが、心の底から思ったものです、
    日本人はおごってはいけない。
    日本人同様に、あるいは日本人以上に、
    感受性豊かで思いやりの深い国民はたくさんいる。

今や人工稠密となった東海道メガロポリス
(なんて言葉が今でも生きているか知りませんが)の日本人たちには、
他人のことなど障害物程度にしか思わない人が年々増大して、
人を思いやる繊細な感情の持ち主など、
金の草鞋を履かないと見つからない時代になってしまいました。

    多くの政治家、官僚、経済人のダイナミックレンジは、
    憎悪、名誉欲、支配欲、金銭欲、保身の方向にだけダイナミックに発達し、
    国民、国家に対する献身、人類愛、同情、共感、責任感の方向は、
    目を覆わんばかり貧弱になってしまいました。
    だから、彼らのダイナミックレンジはきわめて狭いのです。

いつものとおり、ここまではただの前置き。
本題はいつものとおり、写真。

思うに、私たちは自分のダイナミックレンジの中でしか写真を撮れないのです。

まず、カルティエ=ブレッソン
    カルティエ=ブレッソンが、世界中で、
    あのようにあたたかい情感にあふれた、あたたかい画像のスナップを
    無数に撮り続けることができたのは、
    彼の人間性のダイナミックレンジが広大だったからなのではないでしょうか?

    ニューヨークだったでしょうか、
    人気のない路地に座り込んだ孤独な男と、
    その正面に座って彼をじっと見上げる猫の写真があります。
    胸を締め付けるような孤独と癒しの名作。
    カルティエ=ブレッソンは男と猫の両方の心を感じ取っていたのです。

次に、木村伊兵衛

    彼のストリートスナップにもこれがいえます。
    人を上から見下していません。
    共感と理解の深さがあって、
    彼の写真を他のスナップ写真家たちの写真との間に一線を画しています。

最後に、アンリ・ラルティーグ

    彼はとくにこのダイナミックレンジを感じさせます。
    彼の少年時代の育ちの良さとあたたかい家庭の愛情とが
    彼の眼を比類のない愛情に満ちたものにしたようです。
    あらゆる作品に、写されている人に対する愛情が感じられます。

ごくシンプルに概括させていただきますと、

    あたたかい心の持ち主が撮ると、あたたかい写真が生まれ、
    荒れすさんだ心の持ち主が撮ると、寂しく冷たい写真が生まれます。

ときには写真はフィクションとなりますし、
不幸なひとが幸福な光景を撮ることだってありますから、
上記の概括は例外のない数理法則ではありません。

でも、心の赴くままに写真を撮る人ならば、
その人の人生、生活、人間性が撮影対象、撮影決断、撮影条件に深く影響して、
その人ならではの写真を生み出すものだということは言えそうです。
by Hologon158 | 2013-09-29 10:19 | ホロゴンデイ | Comments(0)