470.04 ホロゴンデイ109「2006年3月26日大阪弁天町でちょっとホロゴン吠えてみた」4 疲れたあ..
月曜日も孫の世話に出かけました。
先週来、RSウィルスという幼児にきつい風邪ウィルスに罹患して、
ずっとお休み。
保育園で多種多様の病気をもらってくるため、
たえず病気しているような感じですね。
かわいい孫のために応援するのですから、苦痛ではありませんが、
体力を消耗します。
2、3週間前のことですが、
あんまり疲れたので、帰宅して開口一番、
「ああ、疲れたあ」
この後、でも、どんなにかわいかったかを話そうと思っていたのですが、
その途端にぴしゃりと切りかえされました、
「かわいい孫の世話にいって、疲れたなんて言うものじゃないでしょ!」
こういうのを出会い頭の事故と言います。
先週、妻も2日連続、朝6時起きで世話に出かけました。
帰宅するたびに、まず一言、
「ああ、疲れたあ...」
先日のご発言についてはコメントをいただけませんでしたね。
それにしても、昨日は疲れました。
まず、かなり赤ん坊に戻っていました。
抱っこ、抱っこと迫ってきます。
抱っこしていると眠りこんだので、布団に寝かそうとしますと、
ギャー。
しがみついて離れません。
とうとう、午前中1時間抱っこしたままお昼寝。
10キロもあるので、これはかなりの重労働。
そのままソファーに座ろうとすると、
眠っていても高度が分かるらしく、
ギャー。
やむなくカウンターなどに肘をかけて、負担を軽減しようとすると、
ギャー。
私の腕を通して、固いものに接していることが分かって、
その感触がいやなのでしょうか?
昔、ユダヤ系の哲学者マルチン・ブーバーだったと思いますが、
彼の一節を思い出しました。
散歩に出かけて、大樹に出会い、
思わず手にしたステッキで幹をぐっと押してみたのです。
すると、ステッキを通して、大樹がぐっと押し返す感触があり、
その体験によって、その植物の実存を確知することができた、
彼はそう述べて、人間の実存もまたそのような体験なのだ
と論じていたように記憶しています。
そうすると、私の孫も、私の腕を通して机の存在を確知するという、
一種の実存体験を早くも重ねているということになりそうです。
こんな体験を大きな視点で考えると、
どんな存在も波紋を起こし、他の存在という湖面を伝わって、
自分では認識も予見もできない広範囲に
ある種のチェーンリアクションを発生させているということなのでしょう。
ブログもまたそうした波紋の発生源なのでしょうね。
と言っても、たいていはあまり人が来ない「その他大勢ブログ」なので、
波紋はあっけなく消え去るでしょうから、
まさにただの日記ブログなのですが、
でも、どのような人も、現実の人生においては、
意識することなく、大きな波紋を広げつつ生きているのです。
チェーンリアクションの大きな特質は、
チェーンリアクションの大小は、
最初のアクションの大小に関わりがないということ。
とっても些細な行動が大きな社会的鳴動を呼ぶ危険があるのです。
つまり、人が見ていようが見ていまいが、
自分では大したことがないと思おうが思うまいが、
意外な結果を知らずして引き出すかもしれない、
ということを忘れてはならないということですね。
by Hologon158
| 2013-10-22 22:09
| ホロゴンデイ
|
Comments(0)