わが友ホロゴン・わが夢タンバール

482.14 ホロゴン外傳125「2011年9月10日 ボケレンズが梅田、難波の路地を駆け抜けた」14 横尾忠則肖像図鑑



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昨日の続き。

横尾忠則肖像図鑑展

    ヴィニ・ヴィディ・ヴィキ
    来て、見て、勝った!
    ではありませんが、

         来て、見て、びっくり仰天!

なんという想像力、創造力の沸騰、奔騰、爆発!
まさに圧倒的でした。

    猛烈におもしろい絵が並びました。
    
横尾さんにはもうしわけありませんが、
    一枚一枚をとると、
    美術史に永遠に傑作として残る作品があるとは思えません。
    こんな断定が私の悪い癖で、
    私のブログを人が読まない由縁であることはよくわかっています。
    でも、私のブログは私の心のつぶやきなのですから、仕方がありません。

    心の中でなにかを考えるとき、他人や世間に遠慮する人がいるでしょうか?
    いないですよね。
    だから、遠慮しません。

かなり技法は乱暴でぎこちない感じで、まさにごった煮。

    ところが、まるで横綱のぶちかましのように、
    私の心にどっとのしかかり、私を圧倒します。
    私を驚嘆させ、歓喜させたのは、彼の作品そのものと言うよりは、
    彼の創造衝動と創造行為の果てしないエネルギーの噴出でした。

おかげで、美術館2階のメインルームの個別的な作品群は、
マグマを泳ぐかのような熱気に満たされていました。

    私が釘付けになったのは「マン・レイ」でした。
    それと言うのも、カンバスに釘を打ち、そこに紙を巻き付けるわ、
    随所に紙は貼るわ、
    無関係とも思える様々なイメージを接ぎ木するわ、と、
    意表を突く作法で組み立てられた大胆至極の絵なのですが、
    数々の独創的なアートを爆発的に生み出した芸術家マン・レイの肖像に
    まことにふさわしい、カオスのような作品でした。

私の心を豊かな音楽で満たしてくれたのは3階展示室でした。
4面の壁全部に、明治以来の文豪、文人たちの小さな肖像画を2段並べています。

    どうやら残された肖像写真を見ながら、
    一人一人の文学者に横尾さんが感じている気持ちそのままに、
    さまざまな技法を用いて描いた小品集。
    何人か当然に入っていてよさそうな作家が入っていないのは、
    彼の選択なのでしょう。
    それでも、一人一人を絵にする行為の中で、
    横尾さんは敬愛する人たちに対する愛情を絵に表したのでしょうか?
    私以外には鑑賞者なしという状態で、
    まるで聖堂にたたずむかのような空気感を味わうことができました。

この展示は横尾さん自身がデザインしたのでしょうか?

    とても優れた、それなのに、
    これ見よがしの娑婆っ気の感じられない清楚なプレゼンテーションでした。

そして、楽しかったのは、別室のイコン集。

    彼が選択した聖人たちのミニチュア肖像画が並びました。
    聖ジョン・ウェインとか聖美空ひばりと言った意表を突く聖人たちの中に、
    抜け抜けと紛れ込んでいました、

         「聖横尾忠則」

かなり保守的な思想が感じられるイコン集で、
左派の私にはかなり違和感のある選択でしたが、

    稚気溢れる感じで、もしかすると、冗談音楽のような遊びなのかも知れません。
    違和感を感じつつ、横尾さんに対する親しみを覚えさせる部屋でした。

それにしても、どうしてこんな作品たちも数知れず生み出してきたのでしょう?
今回の肖像図鑑展の前に開催されたのが「横尾忠則 感応する風景」展。
おそらくそれ以外にも多種多様のクリエイティブワークスが蓄積されていることでしょう?

    私は横尾さんのことを何一つ知りませんので、
    勝手な推測なのですが、
    彼の本業は注文仕事のはず。
    ここでも多種多様の意表を突く創造的作品を重ねてこられたようですが、
    常に、どこかにかすかにでも注文主の押しつけるコンセプトの制限があったはず。
    そんな仕事を、まるでどんでん返しのように、
    彼自身の固有の創造作品であるかのようにして完成し成功してきたわけですが、
    それでもなお、そうした注文仕事の合間に、
    心に止めようもなく溢れでてくる閃き、インスピレーション、アンビション、
    そんな創造衝動が突発的に心を揺さぶったに違いないのです。

    そんな閃き、インスピレーション、アンビションを
    なにか形のあるものに創造することが、
    彼の巨大な精神を開放する唯一の道だったのではないでしょうか?

そのせいで、彼の作品全部に、
どこかしら「爆発」「突破」の気配が感じられるのではないでしょうか?

私のように、静かな生活をする平凡人にはとても理解できないスケールの生き方なので、
    ここに書いたことは、きっと全部見当違いなのでしょう。
    でも、私は私で、自分の体験を自分なりに消化することで、
    私の心の揺らぎを吸収しなければなりません。
    私のこの文章はそんな反芻行為というわけです。

読んで損した、そうお考えの方は、ご自分で横尾忠則現代美術館に足をお運びください。

    あなたが芸術に縁が深くても、無縁でも、
    感受性が豊かでも、乏しくても、
    多かれ少なかれ、頭をがつんを一発どやされる、
    そんなめずらしい体験をきっと楽しむことができるはず。
    私のようなあらゆる芸術と無縁の鈍感人間が保証するのですから、
    ぜひお試しください。


        
by Hologon158 | 2013-12-16 15:21 | ホロゴン外傳 | Comments(0)