わが友ホロゴン・わが夢タンバール

495.07 ホロゴンデイ113「2013年8月1日 ある記念日だったけど、一人十三で」7 醒めている



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昼食後、鹿子を出たのが午後1時半。
高畑町の志賀直哉旧邸がある裏通りに入ったところで、
風景写真家のYTさんに出会いました。

    「大和路」のブログにたくさんの奈良の美景を掲載して、
    1日千人以上を集めておられた方ですが、
    今はフェイスブックを楽しんでおられるそうです。

    その理由が、本名で、しかも顔写真を掲載するので、
    信頼できる友達を作りやすいことなのだそうです。
    たしかにそんなことは言えるでしょうね。

でも、私には無理ですね。

    顔写真なんかどこにも出したくないからです。
    それに、本名も出したくない。
    私のように、日記を書いている人間は、本名以外のすべてをさらけ出している。
    フェイスブックの作成者が本名だとしても、
    閲覧者は不特定多数です。
    ごめんですね。

私が将来フリーになったら、
余暇の楽しみのためにもう一つブログを開設するでしょう。

    でも、このブログでそのブログを宣伝するつもりはありません。
    そのブログでこのブログを宣伝するつもりもありません。
    私の読者は私一人で十分だからです。
    このブログだって、記事は格段に増え、写真も飛躍的に増大するでしょう。
    つきあってられないよ、と、誰も来なくなるでしょう。
    待ち遠しい。

さて、午後2時半、破石町バス停近くの喫茶店に入っておぜんざいをいただいた後、
奈良町に向かいました。

途中で、3つぐらいの小さな女の子とお母さんの二人連れと並んで歩くことがありました。
この小さな女の子、信じられないほどにおしゃまでした。

    「まだ赤ちゃんのころ、よくこのあたり来てたんだよ」
    「ふーん、わたちがまだママのお腹にいた頃?」
    「ううん、もう生まれてたわよ」
    「そのころ、わたち、どんな子だった?」

このあたりで、路傍の写真を撮ったので、
どんな子だったか聞きそびれてしまいましたが、
もうこれだけで、私にはびっくり。

    私なんか、かなり小学生高学年になるまで、
    自分がどこから来たのか、まったく見当もつかず、
    情報もまるでなかったのですから。
    自分がどんな子だったかなど、
    過去の幼い頃について関心を持ったこともありませんでした。
    今しかなかったからです。

どうも、現代の子供たちの人生には、
昔なら子供時代には手に入らなかった情報が無差別大量に情報として流れ込んでいるようです。

それがよいことなのか、悪いことなのか、わかりません。
でも、一つ言えることがあります。

    子供にとって、未知の未来について夢見ることができるのが一つの喜びであり、
    心の成長のためのゆとりだったということです。

20代、30代の青年たちも、そんなゆとりなしに、
情報の波に洗われて育った人たちなのかもしれません。
どこか醒めている、そんな感じがしてならないのですが。
by Hologon158 | 2014-01-26 01:36 | ホロゴンデイ | Comments(0)