わが友ホロゴン・わが夢タンバール

510.12 ホロゴンデイ118「2014年3月22日 ホロゴンが祇園四条を舞妓さんと?」12 センチメンタルな旅



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No.10で、レンブラントの描いた「バテシバ水浴図」について、
この絵のモデルが画家の愛人(後の妻)であったという説を否定しつつ、
18世紀以前の絵画史上珍しい、実在の人物をモデルにしたヌード像であると書きました。

すべて私の勝手な推測にすぎないので、どうぞ気にせずに。
ついでに、さらに勝手に推理してみます。

19世紀以降、実在の女性を、ヌードのモデルとしてではなく、
その人そのものとして描くようになりました。
現代写真で一番有名な作品は、荒木経惟の「センチメンタルな旅」1971年ですね。

    写真家自身の新婚旅行のシーンを連作にまとめた、
    ドキュメンタリーという触れ込み、体裁です。
    でも、私は信じません。

まず、第1説。

    これはドキュメンタリーなんかじゃありません。
    荒木夫妻の合作による完全なフィクション。
    夫婦の永遠の思い出となるべきハネムーンなのです。
    この世の誰がこれを外部に発表しますか?

    新婚旅行の機会に撮られた写真かも知れません。
    でも、実態は、新婚旅行の幕間を利用して、
    要所要所で写真集用のシーンを自作自演したのです。
    それも新婚旅行中の写真だと言えば、そのとおりですが、
    撮影の瞬間には、演技者としての気持ちで演技し、
    写真家も、新婚の配偶者としての気持ちではなく、
    あくまでも写真家としての気持ち、行動に切り替えていたはずです。

第2説

    さらに突っ込んで言えば、荒木夫妻は、
    自分たちのハネムーンをそのとき、あるいは別の機会に済ませてしまい、
    この写真集撮影は完全な写真集制作のためのロケ、
    つまり、フィクションだったという可能性だって考えられます。

第3説

    ただし、逆の可能性だって、一応考えられないことではありません。
    荒木夫妻は完全にハネムーン気分で、その記録として撮影した。
    その新婚旅行の記録からピックアップした写真で、
    写真集を制作して発表した。

でも、こうなると、私には、異常であるとしか言いようがありません。
妻の了解の下とは言え、妻の犠牲の下に、
自分の写真家への道を切り開いたとしか思えません。

奥様は42歳で夭折してしまいます。
荒木がその頃のことについて書いた文章を読みますと、
彼が奥様を深く愛していたことは疑いのないところです。

    それだからこそ、第3説は採りたくない、
    第1説あるいは第2説を支持したいですね。

荒木は1991年、「センチメンタルな旅・冬の旅」を出します。
新婚旅行から奥様の死を巡る一連の作品まで。

    この写真集の出版を巡って、篠山紀信との間に論争があったようです。
    あまりにもプライベートな出来事を外部に発表することに、
    篠山紀信は大きく反発したようです。

荒木はその写真をどんな気持で撮り貯めていたのでしょうか?

    私にはこれが理解できませんでした。
    そんな余裕はないし、そんなことはしたくないから。
    心の問題なのに、写真として記録する?
    私は理解できません。

だから、私としては、篠山紀信の反発の方が理解できます。

    この世には、他人に語り得ないことがあり、
    写真に撮ることができないことがある。
    私はそう信じます。

写真家なら、その閾を超えてよいのだと言うのであれば、
私は、写真家になどなりたくないし、
そんな写真家を認めたくない。

    「センチメンタルな旅」が手に入らないので、
    「センチメンタルな旅・冬の旅」、手に入れましたが、
    一度開いたきりです。
    二度見ることができない。
    感動するどころではなくて、
    重苦しい闇が私を締め付けるように感じたからです。
by Hologon158 | 2014-04-06 11:36 | ホロゴンデイ | Comments(0)