526.21 ホロゴンデイ120「2014年5月24日 大阪の下町にはやっぱりホロゴンが一番似合う」21 力量
さて、ようやく天下茶屋から文の里商店街に移りました。
天下茶屋は裏通り、文の里は商店街、違いはありますが、
どちらも庶民の街です。
ロボグラフィの宝庫。
つまり、わが町。
私が近ごろYou Tubeで知った合唱で、最高の曲はなにか?
もちろん画然と明らかです。
国立音楽大学カメラータ ・ムジカ合唱団
あの素晴らしい愛をもう一度
(https://www.youtube.com/watch?v=kSURuN-ZASI&list=
PL1kIeRJejsQZS-E1W2mdUTnbhMtBBdCmB&index=6)
颯爽と風を切るようなスピード感、
膨らみがあり、ダイナミックなハーモニー、
ワクワクするような展開、
小編成の混声合唱の醍醐味を味わうことができます。
他の多くの合唱団とどこが違うのでしょう?
一人一人の歌唱力がまず違うようです。
でも、それだけで当然まとまるわけではないでしょう。
合唱指揮者の力量がかなり影響しているのかも知れません。
このような並外れた力量を目の当たりにすると、
写真にも敷衍して考えたくなります。
写真ブログその他さまざまな媒体、機会に写真を拝見する機会があります。
そんなとき、一人の写真家が提示する写真群を、
1つの全体を構成するものとして見てしまいます。
たとえば、一人の人を見るとき、そのどの一部もその人です。
当然のことですが、このとき、それぞれが別の人を思わせるようでは、
フランケンシュタインですね。
写真群もそうです。
一枚一枚は個性的独自のイメージでも、まとめてみると、
ああ、やっぱりこの人の作品なんだと納得できる、
そんな統一感が自ずと浮かび上がってこない限り、
どこかまだまだという感を抱かざるを得ません。
そんな観点で見ますと、意外なことに、なかなか見つからないものです。
写真がどんなに上手くて、見事な写真を撮っている人でも、
その写真たちのどこにこの人はいるの?
そう言いたくなるような、ただの写真ということがあります。
結局、撮影者自身の人間性に人を魅了するようなものがなければ、
写真はただの写真の域を脱することができないようです。
こんな風に書きますと、いつもながら、
大いに反発を買うことでしょう。
そういうお前はなんだ?
ただの写真じゃないか?
どこに人間性が出ているんだ?
おっしゃるとおりですね。
だから、言っているじゃありませんか?
私のブログは写真作品を提示するブログじゃありません。
素人が自分の体験を記録した写真を気楽にストックしているだけ。
使用レンズたちが並外れた古典的特殊イメージをプレゼントしてくれるので、
しかも、常にごく切り詰めて撮っているので、
なんだか写真作品的に見えるとしても、私の気持は違います。
レンズの個性のバリエーションを満喫できるのが、
私の人生の歓びの1つなのですが、
そんなレンズたちの個性を私の写真の個性に見せかける積もりはありません。
もちろん、ただの写真でしかありません。
そんな風に写真との付き合い方を転向したことで、
私はとても気楽な写真人生を楽しめるようになりました。
誰かが「いい写真ですね」と来たら、
私は「いいレンズでしょう」と返します。
だから、正確には、私は写真人生からレンズ人生に転向したのかも?
by Hologon158
| 2014-06-08 22:15
| ホロゴンデイ
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