わが友ホロゴン・わが夢タンバール

544.11 ホロゴン外傳135「2014年9月9日 ヘリアー15mmf4.5片手に自宅近くを歩いてみた 」11 ヴィヴィアン


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友人が凄いサイトを教えてくれました。

    VIVIAN MAIER
            (http://t.co/UgZZ1PpwCd)

写真ギャラリー経営の福川芳郎氏の素敵なブログにも紹介があります。

    The Short Epic
    by Yoshiro Fukukawa
    (http://gallerist.cocolog-nifty.com/epic/2012/06/post-ce4a.html)

記録のために、一部引用させていただきます。

「米国人写真家ヴィヴィアン・マイヤー(1926-1989)の発見ストーリーも
まるで嘘のような本当の話だ。発見の経緯はこんな感じ。
2007年歴史史家ジョン・マーロフ氏は資料用として
シカゴの地元オークションで膨大な無名写真家のネガ、プリント類を落札する。
それらがヴィヴィアン・マイヤー撮影のものだった。
彼は調査を続けるうちにマイヤーの写真に魅了され、
それらを紹介するウェブサイトを立ち上げる。
そしてFlickr上で、入手した写真資料で何をすべきかを一般に問いかける。
それがきっかけに写真界で
怒涛のようなヴィヴィアン・マイヤーのブームが巻き起こるのだ。
画像や発見の経緯は以下に詳しく紹介されている。
http://www.vivianmaier.com/

ヴィヴィアン・マイヤーのキャリア全貌はいまでも謎に包まれている。
上記ウェブサイトによると、彼女は1926年ニューヨーク生まれ。
母親の出身地フランスと米国とを何度も行き来するものの、
1951年にニューヨークに戻る。
その後、約40年間に渡り、
主にシカゴで育児教育の専門知識を持つナニーの仕事を行う。
一生独身で、親しい友人もなく、撮った写真を誰にも見せなかった。
"keep your distance from me"タイプの人物だったというので、
「私にあまりかかわらないで」タイプということだろう。
また歯に衣きせない言い方をする人だったらしい。
経緯は不明だが、
キャリア後期の彼女は一時的にホームレス状態だったようだ。
写真類がオークションに出たのも、
倉庫代の未払いが原因だったとのこと。
しかし、その後、2009年に83歳で亡くなるまでは、
かつて彼女が面倒を見た子供たちがお金を出し合って
アパートの家賃を負担していたそうだ。

写真家としてのキャリアは、
1949年ころにコダックのブローニー・ボックスカメラで開始。
1952年に2眼レフのローライフレックスを入手している。
彼女はアマチュア写真家として、
50年代~90年代にかけて約10万にもおよぶ写真を、
フランス、ニューヨーク、シカゴなどで撮影。
その写真には、戦後アメリカの都市生活のリアルなイメージが、
高いレベルの、美しさ、感動、ユーモラスさで表現されている。」 

かなり孤独な人だったようです。
でも、写真と人とストリートが大好きだった。

冒頭のサイトのPortfolioには
沢山の彼女の作品がまさにギャラリーとして並びます。

    私の28インチシネマディスプレイ一杯に拡大されているので、
    まるでオリジナルプリントを見るようで、圧倒的迫力。

コンタクトシートまで掲載されています。

    対象に肉迫するために惜しげもなくフィルムを消費しています。
    ぐいぐいと人に接近し、あるときは了解を得て、あるときはスナップして、
    一こま一こまそれぞれにくっきりとした画像を生み出しています。

    写真にためらいやたじろぎがまったく見られません。
    並のアマチュアカメラマンのコンタクトシートとはレベルが全く違う。

たとえば、このサイトのPORTFOLIOSのstreet4の3枚目は強烈。

    夜、門口に一緒になってへたりこんだ3人の酔漢の写真があります。
    なんとまあ、ローライにストロボを付けて、間近に迫って、
    バンとストロボ一発で撮っているのです!
    なんたる度胸!
    ウォーカー・エバンスも森山大道も脱帽!

この人、大写真家たちのマウンテントップに立つ人だったのに、
どうやら自分をそのような写真家とは見ていなかったようですね。

セルフポートレートが沢山あります。

    まるでリー・フリードランダーの女性版のような雰囲気。
    はっきり分かることは、確固たる個性の持ち主だったこと。
    自分が何をしたいか、何をしているか、ちゃんと分かっている人です。

それなのに、誰一人知る人もなく死んでしまった。

    彼女自身はこのことについてどんな悔いも怨みもなかったのでしょう。
    でも、自分自身がとんでもないほどのハイレベルの写真を
    日常茶飯事のように軽々と撮っていることに気づいていたはずです。
    それなのに、はじめから、人に知られるつもりなどなかった。
    それが彼女の生き方だったのでしょう。

私たちも、彼女のことを同情して、
彼女が世に知られることがなかったことを惜しむ必要なまったくないのです。

    そんな人も居ること、この事実が私たちに、
    人間という存在の多様性、人間の文化の高さを教えてくれるのですから。


        [後書き]
          10枚目の写真、空に点々と浮かぶのは、
          トンボ!
          まさに秋!
          まったく気づきませんでした。
by hologon158 | 2014-09-19 11:42 | ホロゴン外傳 | Comments(0)