554.03 ホロゴン外傳138「2014年10月17日 宇治にマクロの雄エルマー65mmが降り立ったとき」3 南里沙さん
おかしな風景を見ました。
ハーモニカ演奏家の南里沙さんが、
ご自分の師匠徳永延生さんの教室の発表会にゲスト出演されたときのビデオ。
南里沙 ライブ 【Spain】クロマチックハーモニカ
(https://www.youtube.com/watch?v=U8yvQT4dMm0)
これがハーモニカか?
そう驚くほどの音圧が高く、音の粒立ちも良い、華麗な演奏です。
ハーモニカを手にしてからたった4年しか経っていないのに、
もう著名なプロになっている。
教室の生徒さんのほとんどは南さんよりも先輩のはずです。
南さんがど迫力で見事な演奏を繰り広げるのを眼前にしながら、
ハーモニカを愛する生徒さんたちの心境は穏やかではなかったはず。
南さんが、ふつうの演奏会と違って、
みなさんの視線が怖いというようなことを言っていますが、
当然なのです。
たった4年でこれ?
じゃ、6年やってくる私はなんなんだ?
でも、これは誤解です。
彼女は子供の頃からプロを目指してピアノを学び、
各種のコンクール、演奏経験を積んだあげく、
大学にはオーボエ専攻で入学して、音楽家を目指してきた人なのです。
音楽に対する才能はもとより、経験、素養、基礎知識、生活すべてが
積み重なった下地にハーモニカの花が咲いたのです。
彼女の人間のすべてがこの音楽、サウンドとなって花開いているのです。
すべてがそうですね。
写真だって、例外ではありませんね。
ただし、写真に人間が現れるためには
やはりある種の修行、経験、素養が必要なようです。
そこまでの準備がないと、
私のように、ただカメラ、レンズが撮ってくれた、なんの意味もない写真。
私たちが目にするさまざまな写真のほんの一握りだけが、
撮影者の人間性を語りだしてくれます。
インカの石造構造物の写真集を一つ手に入れました。
普段公刊物ではほとんど見る機会のないマイナーな遺跡でも、
インカの石積のすごさを物語る数々の写真に圧倒されます。
ところが、合間にアンデスの人たちのスナップが織り込まれています。
これがただの観光写真。
きらりと光るなにかがどこにも見つかりません。
でも、彼にとってそれらのスナップ写真は、
長年アンデスに住んでゲットした傑作たちの筈なのです。
このあたりのギャップが大きすぎます。
この撮影者がどんな人間性、かまるで浮かび上がってこないのですから。
ブログも含めて、世の中に氾濫している写真のほとんどがそうです。
レンズに全面的に寄っかかっている私が書くのもどうかと思いますが、
ただの思考のひらめきを記録しているだけなので、
遠慮なく書きますが、
誰もが人生をがんばって生き、
それなりに人生経験を積み、人間性を鍛えてきたはずなのに、
どうしてそんな人間性を反映するような写真が撮れないか?
理由はいくつか考えられます。
① 一番多い理由は、
あなたは写真に向いていないということ。
② 次に多い理由は、
写真を、自分の心、気持ちで撮っていないこと。
人がびっくりするような傑作を撮って、
名を上げたい、賞金を稼ぎたい、写真家として知られたい、
そんな下心があなたと写真との間に大きな障壁を作りだしてしまいます。
私はそんな写真をいやというほど見てきました。
「人に勝つ」、そんな気持ちがある限り、初手から自分で負けていまう。
撮影の瞬間に心を占めていたのはなんですか?
美しさへの讃美、ただこれだけだ、なんて感じられない。
眼前の情景と自分の喜び以外のなにかが、
あなたの心の一部または全部を占めていたのではないですか?
そう感じてしまう写真はアウト。
そんな写真ばかり撮るあなたもアウト。
③ 最後に、もっと怖い可能性もあります。
写真に注ぎこまれるべき人間性がまるでないこと。
こんなことを考えると、写真に対する姿勢もよく考える必要がありそうです。
全生活を写真に傾注する必要はありませんし、
むしろそんなことはすべきでないでしょう。
写真だけではない、すべての生活に自分を惜しみなくそそぎ込んで生きる、
そんな生活、人生の一部として写真を楽しむ、
そんな姿勢が必要なのではないでしょうか?
南里沙さんのハーモニカ音楽のひたむきな美しさと迫力は、
単なる技術、素養の結果ではありません。
自分の音楽を求め、自分の人生を夢見てひたむきに努力し生きてきた
その人間の厚みが音楽に力を与えている、そんな感じがします。
技術だけに頼る限り、限界を超えて花開くことはできません。
「剣によって生きるものは剣によって滅ぶ」
この言葉の本当の意味はそこにあるのではないでしょうか?
by Hologon158
| 2014-10-26 15:31
| ホロゴン外傳
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