わが友ホロゴン・わが夢タンバール

580.09 ホロゴンデイ129「2009年12月20日 京都河原町がホロゴンを大歓迎 」9 身体全体で語る



森繁久彌にちょっと面白いエッセイ集があります。
「品格と色気と哀愁と」(朝日文庫刊)

その中にサミー・ベイスという米国の演出家の言葉があります。
「一つの感動を、身体全体で語るという気がないと、
身体のほかの部分は遊んでいるんだよ」
とてもいいアドバイスですね。
すべての身体を使う行為に当てはまるばかりでなく、
生きるという行為すべてに通じる極意のようなものかもしれませんね。

今、私はひまなものですから、揚琴、二胡、
クロマチックハーモニカと3つの楽器を学んでいるのですが、
数日前から、それにリコーダーも加わりました。

リコーダーはかなり昔独習していたのですが、
ものになりませんでした。
今度は、ものにしたいと心に深く誓っているのですが、
まだはじめたばかりで、これは除外するとして、
ほかの3つの楽器を習っていて、感じることが一つあります。

どうやら楽器というものは、心と体と楽器とが一体となって、
たがいに響きあう状態を作り出す必要があるということ。
少しでも力んだり、固くなったりしているところがあると、
音にそれが影響を与えます。
全身を脱力して、必要な動きだけをなめらかにすることで、
次第に音が生まれます。

クロマチックハーモニカは、
身体全体を共鳴体としてはじめて深い響きが出るのだそうです。
おそらくリコーダーでも一緒でしょう。
どうすればそうできるか?
それがわからない。
あっちをリラックスさせると、こちらがこわばる、
そんなイタチごっこの繰り返し。
そうなると、どこか心の中に力みが残っていることになりそうです。
まるで悟りと一緒なのかもしれない、とまで思えます。

ロマン・ローラン(古い! もう誰も読まないかな?)で読んだのですが、
インドの聖者ラーマクリシュナの修業時代、
眉間に精神を集中させて、サマーディ(三昧)の境地、
要するに悟りに達っしようとするのですが、この精神集中ができません。

そうすると、師匠がいきなり地面に落ちていたガラスの欠片を拾い上げて、
「ここに集中しろ!」と叫びながら、
いきなりガラス片を眉間にガッと突き刺したのです。
その瞬間、ラーマクリシュナの頭の中で光が炸裂し、
サマーディの境地に達したということです。
もしかすると、その刺激が引き金となって、
全身を完全な脱力状態にしてしまったのかも知れません。

たとえば、「アー」と口で言いながら、
「23ー18」というような単純な計算をすることはできません。
それとははるかに次元が異なりますが、
なにか心にわだかまり、屈託があると、
仕事に集中できないのも同じかも知れません。

人生のあらゆる場面で、同じことが起こります。
心と体の全部を使える人はよい仕事ができ、
心も体も半分しか使わない人はろくな仕事ができないものです。
私も、そんなことを心にとどめて、
これから楽器を学ぶことにしたいものです。

「一つの音を、身体全体で歌うという気がないと、
身体のほかの部分は遊んでいるんだよ」




580.09 ホロゴンデイ129「2009年12月20日 京都河原町がホロゴンを大歓迎 」9 身体全体で語る_c0168172_22271035.jpg
580.09 ホロゴンデイ129「2009年12月20日 京都河原町がホロゴンを大歓迎 」9 身体全体で語る_c0168172_2227416.jpg
580.09 ホロゴンデイ129「2009年12月20日 京都河原町がホロゴンを大歓迎 」9 身体全体で語る_c0168172_2228922.jpg
580.09 ホロゴンデイ129「2009年12月20日 京都河原町がホロゴンを大歓迎 」9 身体全体で語る_c0168172_22265864.jpg
580.09 ホロゴンデイ129「2009年12月20日 京都河原町がホロゴンを大歓迎 」9 身体全体で語る_c0168172_2226523.jpg
580.09 ホロゴンデイ129「2009年12月20日 京都河原町がホロゴンを大歓迎 」9 身体全体で語る_c0168172_22264686.jpg
580.09 ホロゴンデイ129「2009年12月20日 京都河原町がホロゴンを大歓迎 」9 身体全体で語る_c0168172_22264060.jpg
580.09 ホロゴンデイ129「2009年12月20日 京都河原町がホロゴンを大歓迎 」9 身体全体で語る_c0168172_22263389.jpg
580.09 ホロゴンデイ129「2009年12月20日 京都河原町がホロゴンを大歓迎 」9 身体全体で語る_c0168172_22262771.jpg
580.09 ホロゴンデイ129「2009年12月20日 京都河原町がホロゴンを大歓迎 」9 身体全体で語る_c0168172_22262160.jpg

by hologon158 | 2015-03-08 22:30 | ホロゴンデイ | Comments(1)
Commented by petzval at 2015-03-09 11:47 x
演奏論を私が語るのもなんですが。。。
「力を抜け」なんてアドバイスは
アドバイスになってません!(笑)
こんな抽象的な言葉で悟りに至る人はいないと思われます。
管楽器の場合、よく言われるのは
「肺、胸、喉、口内、唇、腕、手、指等々から力を抜け」ですが、
そういう部分部分から力を抜こうとすると、
ロクなことが起きません!
どこかから力を抜くと、別のどこかに力が入るのです。
これが自然の摂理というものでしょう。
私がもし先生なら、逆のことを言います:
即ち「力を入れろ!」です。
リコーダーだったら、まず唇に力を入れ、緊張させます。
中途半端でなく、思い切り力を入れるのです。
そうすると、それがどれだけ演奏に悪いことなのか、
身をもって体験出来ます!

エンゲルスが『自然の弁証法』の中で言ってます:
「ピストルがどういう仕組みで弾を発射するか、
どういう時にわかるでしょうか?」
答えは「弾が発射されない時」です!

世の中の多くの人が、
正面から問題に挑むのが男らしく、良いことだ
と思っているようです。
でも、自分が見ているのが本当に正面なのかは
疑問視しません。
国語教育で「文章が上手くなりたければ、
話す様に書きなさい」なんて言います。
でも、本当にものがわかった人間は絶対にそんなことを言いません。
なぜなら、それはシェイクスピアをもってしても不可能だから、です。
ものがわかった人間は言いました:
「文章が上手くなりたければ、(日常)書く様に話しないさい!」
こっちこそが正面に向った正攻法じゃないでしょうか?