598.07 ホロゴンデイ131「2015年5月16日yoshiさん迎えてホロゴン気負い立ち」7-完-減客体
東洋陶磁美術館の特別展に牧谿の掛け軸が1枚ありました。
筆を惜しむ中国水墨画の粋のような見事な小品でした。
私はこのような減筆体の絵に猛烈に魅せられます。
白地に窮まりない空間美と想像の余地を感じさせられるからです。
このような減筆体を駆使できる芸術家は、
傑出した筆力と精神力の持ち主ですね。
ほんのわずかに筆を走らせ、
そのとても小さな描写に全体を支配させるのですから。
筆力がないと、ただの制作途中の絵であり、
白地にはまだ描かれるべきイメージが描かれていないだけ、
という風に感じさせます。
そのような疑問の余地を絶対に与えないのが減筆体の絵の力です。
写真でも、そのような減筆体を実現したいものです。
でも、写真はフレーム全体に画像を描きだすものです。
水墨画のように、書き残しなどできません。
私はそれでも写真にも減筆体が可能であると考えます。
要するに、見る人の視線が主題だけに集まり、
周辺に写っているものはその視線を邪魔せず、横取りせず、
ひたすら主題の存在感を高める役目だけを果たす、
そんな写真です。
木村伊兵衛やカルティエ=ブレッソンの写真は減筆体なのです。
あなたは、木村の「沖縄の芸者」「N夫人」の周辺部になにが写っているか、
カルティエ=ブレッソンの「サン・ラザール駅裏の跳ぶ男」の周辺がどんな状態か、
記憶していますか?
記憶していませんね。
「いや、ぼくは覚えている」と言うあなたは、
無意味な細部にこだわる、しつこーい性格の持ち主ですね。
その性格、直しましょうね。
周りに嫌われちゃいますよ。
でも、あなたの写真について、誰かが、周辺のなにかが気になると言ったら、
気にした方がいいですね。
それは、あなたが主題を邪魔するような構図を作ってしまったという兆候。
私は写真素人ですから、一つのものしか撮りません。
もちろん周りに気を配って、主題を邪魔するようなものを入れないように、
などと気を配ることもしません。
その代わり、その一つのものしか写らないほどに接近します。
そして、写真の主題をシンプルにします。
でも、なにかを表現しようとすると、ややこしくなります。
周辺部のすべてに気配りして、一つのコンセプト、一つの気分を、
全体が描き出すように、プロデュースしなければならないのですから。
私は、そのようなややこしくて、素人には困難な試みは絶対にしません。
だから、私の写真を見て、
「ああ、ここにはアンニュイが表現されている」なんて、誰も言いません。
「ああ、写ってますねえ。
ところで、これはなんで撮ったのですか?」
という風に、会話が運びますね。
よく考えてみると、減筆体ではなく、減客体ですね。
訪問客が減る一方のブログ写真、それが減客体ですね。
by hologon158
| 2015-05-27 11:05
| ホロゴンデイ
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