655.01 ホロゴンデイ166「2016年7月29日ホロゴンが我が懐かしの岡町に」1 吉田正写真教室
8月18日木曜日、吉田正さんの写真教室でした。
毎回前半は講師の講演ですが、これがいつも聞き応えがあります。
今回はアンセル・アダムズの言葉を紹介していただきました。
「アイデアがぼやけた写真よりも、
アイデアが鮮明なぼやけた写真の方がいい」
これはぼやけた写真ばかり撮っている私には力強い言葉。
ただし、私の写真が「アイデアが鮮明」かどうかは怪しいものですが、
「ぼやけた写真」であることは間違いがないからです。
ただし、アダムズほど常に鮮明な写真世界を展開した人はいませんので、
彼の言葉の後半は彼の写真とは無縁。
アダムズはアマチュアの指導も行った写真家なので、
そんな写真修行中のアマチュアたちへのアドバイス、警告だったのかもしれません。
私は、ボケレンズを多様するだけに、とても励みになる言葉でした。
アダムズは生涯ボケた写真など撮ったことのない写真家でした。
なにしろ作った写真家グループの名称が「グループf/64」
大型カメラのレンズの最小絞りから来ています。
パンフォーカスでびしりと全景を決める、それが彼のコンセプトでした。
開放原則、ピンフォーカスでたった一点を止める私とは正反対。
でも、「アイデアが鮮明であること」、
これを至上とする点では変わらないなとうれしくなりました。
ただし、もう一つの言葉は私の根本テーゼとは一貫しません。
彼はこう言うのです、
「ネガは楽譜、プリントは演奏である」
現代のRAW撮影に似ています。
ニュートラルに撮っておいて、
画像処理ソフトで自在に自分の意図にあわせて画像を調整する。
アダムズは、モノクロームプリントの際に、
画面の隅々までしっかりと浮かび上がるように、
覆い焼き、焼き混みの細やかな処理を丁寧に施したそうです。
どちらの場合にも、そのような精緻な画像処理が
本来の写真作品を創造するための不可避不可欠のプロセスである
という考え方が一貫しています。
私は写真を始めた頃から終始一貫して違いました。
モノクローム時代は最高にニュートラルなフィルム現像に心がけ、
引き伸ばしにあたっても、引き伸ばしレンズをひたすらF8に絞って、
あっさりと露光するだけ。
焼き込み、覆い焼きは一切しません。
デジタル写真の時代になっても、
カメラの設定をなにもかも最低に落として、
jpgで撮影し、レベル補正で濃度を整えるだけ。
写真は作品でも何でもない。
私一人の記憶の保存手段。
近頃知って、ときどき楽しむ遊びがあります。
私が2つのブログ名をグーグルの画像検索をすると、
iPhoneの場合はかなり沢山の私の写真が画面に並びます。
ああ、あそこにも行ったなあ。
ここではこんな面白いものが待ってくれたなあ、
などと、懐かしく回想することができます。
ブロガーの皆さんはおやりになってみたらいかがですか?
毎回前半は講師の講演ですが、これがいつも聞き応えがあります。
今回はアンセル・アダムズの言葉を紹介していただきました。
「アイデアがぼやけた写真よりも、
アイデアが鮮明なぼやけた写真の方がいい」
これはぼやけた写真ばかり撮っている私には力強い言葉。
ただし、私の写真が「アイデアが鮮明」かどうかは怪しいものですが、
「ぼやけた写真」であることは間違いがないからです。
ただし、アダムズほど常に鮮明な写真世界を展開した人はいませんので、
彼の言葉の後半は彼の写真とは無縁。
アダムズはアマチュアの指導も行った写真家なので、
そんな写真修行中のアマチュアたちへのアドバイス、警告だったのかもしれません。
私は、ボケレンズを多様するだけに、とても励みになる言葉でした。
アダムズは生涯ボケた写真など撮ったことのない写真家でした。
なにしろ作った写真家グループの名称が「グループf/64」
大型カメラのレンズの最小絞りから来ています。
パンフォーカスでびしりと全景を決める、それが彼のコンセプトでした。
開放原則、ピンフォーカスでたった一点を止める私とは正反対。
でも、「アイデアが鮮明であること」、
これを至上とする点では変わらないなとうれしくなりました。
ただし、もう一つの言葉は私の根本テーゼとは一貫しません。
彼はこう言うのです、
「ネガは楽譜、プリントは演奏である」
現代のRAW撮影に似ています。
ニュートラルに撮っておいて、
画像処理ソフトで自在に自分の意図にあわせて画像を調整する。
アダムズは、モノクロームプリントの際に、
画面の隅々までしっかりと浮かび上がるように、
覆い焼き、焼き混みの細やかな処理を丁寧に施したそうです。
どちらの場合にも、そのような精緻な画像処理が
本来の写真作品を創造するための不可避不可欠のプロセスである
という考え方が一貫しています。
私は写真を始めた頃から終始一貫して違いました。
モノクローム時代は最高にニュートラルなフィルム現像に心がけ、
引き伸ばしにあたっても、引き伸ばしレンズをひたすらF8に絞って、
あっさりと露光するだけ。
焼き込み、覆い焼きは一切しません。
デジタル写真の時代になっても、
カメラの設定をなにもかも最低に落として、
jpgで撮影し、レベル補正で濃度を整えるだけ。
写真は作品でも何でもない。
私一人の記憶の保存手段。
近頃知って、ときどき楽しむ遊びがあります。
私が2つのブログ名をグーグルの画像検索をすると、
iPhoneの場合はかなり沢山の私の写真が画面に並びます。
ああ、あそこにも行ったなあ。
ここではこんな面白いものが待ってくれたなあ、
などと、懐かしく回想することができます。
ブロガーの皆さんはおやりになってみたらいかがですか?
by hologon158
| 2016-08-29 17:39
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