わが友ホロゴン・わが夢タンバール

707.05 ホロゴン外傅213「2017年9月9日タンバール90㎜F2.2生駒幻泳の1日」5 美と人生と



10月11日水曜日、
午後12時45分、近鉄奈良駅近くの歯科で治療、
午後5時から新大阪駅近くのココプラザでリコーダーの練習。

まず、歯科治療ですが、バスが20分早く着いたので、
東向き通りをしばらく撮影。
ソニーα7には、
ライカの古い28mmFレンズ、
ズマロン28mmF5.6を付けました。

もちろん、すべてのレンズの原則、
開放オンリーです。
と、言っても、F5.6なのですから、十分絞り込んだも同然。
ズマロン35mmF3.5に似た、とても美しい仕上げの金属鏡胴と、
立体感と深みのあるイメージ。
方形のフードがとても良く似合います。
と言うか、ほとんどフードだけでその存在を誇示できる、
珍しいケースかも知れません。

洋品店の窓の窪みにおかれた観葉植物を撮っていると、
年輩の女性が背後から声をかけました、
「きれいな葉ですね」
ちょっと立ち話。
「私はこれが好きで、通りかかる度に撮っているのですが、
いつもどこかキリッとした品が際だっていて、
好きですね。」
「花を撮るのがお好きなのですか?」

このあたりで、会話の車輪が脱線します。
「いえ、道ばたのものなら、なんでも撮ります」
この回答は理解を超えていたようです。
写真は美しいものを撮る、
その美しいものとは、誰もが美しいと思うものに限られる、
これが一般のコンセンサスのようです。
美の基準の問題です。
上記の考え方は、いわば美の民主主義。
多数決で決めよう!

でも、私の感じるところでは、
美ほど民主主義が似合わないものはありません。
全世界の人がこれは美しいと断言しても、
私が美しいと思わなければ、
それは美しくはない。
逆に、私が美しいと感じたら、
全世界の人がこれは美しくないと断言しても、
美しい。
さらに、言えば、あなたがこれは美しいと思うものを、
全世界の人が異口同音に「その通りだ!」と叫んでも、
あなたは自分の感覚は平凡だなんて思う必要もないのです。
常に自分の感覚によって決まる、
これが美の本質ですね。
極度にプライベート。

でも、ぐらっとよろめく体験をしたことがあります。
10年ほど前、友人たちと写真展を開催したことがあります。
その一つを見に来てくれた知人が、
見終わったあとで、こうぼそりと言ったのです、
「実はあんたの写真、好きじゃないんだ」
私は愕然としたことを覚えています。
好悪は人それぞれなのですから、
私は、自分の写真を「美しいでしょ!?」なんて、
人に押しつけるつもりはありません。
でも、なにも私に向かってはっきり言わなくても、ねえ?
至上の美のみを美と認める人です。
自分には醜いものを平気で撮る人間には辟易したのでしょうか?

今、この出来事を思い出して、
はたと気づきました。
そうなんだ!
この世の中には、人が美と感じられないものを喜んで撮って、
ブログに掲載している人もたくさん居るでしょうけど、
こんな写真好きじゃない、いや、きらいだ、
そう感じる人がたくさん居るんだろうなあ。
そこで、フェイスブックにせよ、ブログにせよ、
大なり小なり、多くの読者が共感できるように、
自己主張をかなりセーブしている方が多いでしょう。

会議で自分の主張を通そうと決意している提案者は、
出席者たちに巧みに話を持ちかけて行って、
この際、賛成に回る方が流れに沿った動きだ、
そう感じさせるように持っていきます。
誰も、いきなり、
「私の提案に賛成するか反対するかは、あなたの自由ですよ」
なんて持ちかける人はいませんね。

私のロボグラフィブログ2つはどうやら、
この誰もやらないような提案をし続けてきたようです。
そうか、あのときの知人のように、
「このブログ、好きじゃない」
そう、たいていの方に思わせるように、
ひたすら自分本位にブログを続けてきたのですから、
あのときの知人のように、
「このブログの記事も写真も好きじゃない」
そう感じて、2度とアクセスしない人が居るかも知れない、
というより、大半がそうかも知れませんね。

でも、怪我の功名のようなもので、お陰様で、
一人静かにブログ人生を楽しんでこれました。
私にとっては、
これからますますブログが存在価値を増すことになりそうです。
というのは、高齢になればなるほど、
心も体も、劣化を防止するためには、心身どちらにせよ、
エクササイズ、トレーニングとなるような方法を沢山見つけ、
それらを絶え間なく実行しなければならない、
ブログは心の劣化の防ぐ、とてもよいメソッドだ、
そう悟っているからです。

その最高の実例がイチローですね。
誰も真似のできないような苛酷なエクササイズを、
一日も欠かさず続けてきたようです。
歴史に名をとどめるため?
私はそうではないと確信しています。
もしそうだとしたら、もうこのあたりのまさに絶頂期で、
名声に包まれて引退するのが最上の策ではありませんか?
年々、彼の出番は減り続けているのですから。
偉大なスタープレーヤーとしての記録を数え切れないほど
樹立してきたイチローにとっては、
代打の安打記録なんて、蛇足としか言いようのないデータ。

そうではなく、野球選手としての日々を重ね続けること、
これこそ、彼の最高の喜びなのではないでしょうか?
イチローの最大の願いはなにか分かりますか?
私には分かります。
「現役の大リーグプレーヤーとして死を迎えること」

私もそうです。
日々無為に過ごし、静かに朽ちていく?
とんでもない!




by hologon158 | 2017-10-15 11:57 | ホロゴン外傳 | Comments(0)