718.06 ホロゴン外傅221「2017年11月13日スピードパンクロ50㎜F2奈良町散歩」6 ポメラDM20
ポメラが壊れたので、
上位機種のPOMERA DM20を手に入れました。
完全にこれまでと同じだけど、
完全に違うポメラ。
使い勝手がぜんぜん違います。
入力画面、入力文字選択の自由度、1ファイルの文字制限、
すべてがけた外れに大きくなりました。
キータッチもかなり高級感があり、安定しています。
いくらでも書きたくなるという信頼感、
うれしくなってしまいます。
人間って、どんなことでも、ケアしないと、錆び付きます。
頭はその典型ですね。
在職中は仕事の必要に迫られて、否応なく頭を使わざるをえません。
でも、退職すると、その生活状態次第では、
別に頭を使わないでも、惰性だけで生活できます。
でも、どんどんと頭は錆び付いていきます。
私が在職中にブログを始めたのは、その防止策としてでした。
この作戦は見事成功した、私がそう考えています。
手紙にしてもそうですが、たいていの方は、必要がない限り、
そして、相手がいない限り、文章など書きません。
もっと言えば、必要がない限り、頭を使いません。
ブログにせよ、文章にせよ、
多くの人は、コミュニケーションの道具であり、
ブログや文章のメッセージの宛先は自分以外の第三者だ、
そう当然に考える方が多いようです。
でも、別の考え方もできます。
人は、人とのコミュニケーション、交わりがないと、
本来の人生とは言えない、そう考えます。
その通りです。
でも、このとき、交わりの対象となる人には自分自身も含まれる、
と考えたいものです。
次第に、他人とのコミュニケーション、交わりの機会は減少していきます。
多くの人は、退職とともに一種の喪失体験に見舞われます。
自分が属してきた組織を通じて築いてきたヒューマンネットワークが消えてしまう。
そのネットワークの誰もが、退職者をネットワークから除去してしまいます。
退職者との関係を継続する必要も時間的余裕も欲求ももたないからです。
多くの退職者は、在職中、職務に専念する余り、
職場外のネットワークなど開拓する余裕がなかったので、
同じ退職仲間をのぞけば、
いわば1人ぼっちになっている自分を発見して、愕然とすることになります。
私は、在職中から幾種類ものネットワークに関わるようになっていました。
そのかなり多くはすでに過去のものとなりましたが、
まだいくつか心を共にできる仲間のネットワークが健在です。
でも、私が一番大切にしているのは、
もちろん妻を中核とする家族ですが、
それと同じくらいに大切なネットワークがあります、
それが、自分自身との交わり。
昔々のことです。
インドの古王国の王様が愛する妃マッリカーに尋ねました、
「そなたがこの世で自分よりも愛する人はいるか?」
もちろん、期待した答えは、
「陛下ですわ」
でも、王妃様は答えました、
「王様、私自身よりも愛している人はおりません。
王様はいかがですか?」
なんだか、古代の女性も、現代の女性たちに劣らず、
正しく開かれた心を持っていたのですね。
私の妻も、マッリカー妃と同じなのですが、
私もやっぱり自分を一番愛します。
そんな自分とつきあう場、
それが私の2つのブログ、というわけです。
私のブログに訪れた方はただちにそれが分かるようです。
その証拠の一つ。
友人がこう尋ねたのです、
「ブログの写真を見ていると、ときどき同じ写真が重複していますね。
そんなとき、あれっ、どこが違うんだろうか、と、
一生懸命違いを探してしまうんですよ。
こんなブログは他にはありませんねえ」
私は平気です。
「それは、ぼくがブログを見返さないからですよ。
ブログの写真が重複していても、
ぼくには何の痛痒もないんだから、平気ですよ」
正直なところ、文章にせよ、写真にせよ、校訂の手間は一切とりません。
文章だって、誤字脱字、どころか、誤りだってあるでしょう。
でも、忙しく生きている人間が日記を書くとき、
最初から読み返して、誤りがないか、検閲するでしょうか?
そう、あなただったら、するでしょう。
完璧を期して生きておいででしょうから。
私は、生きることとは、過ちを犯すことだ、
というスタンスで生きてきましたから、
残り時間がどれだけあるのか、分からない今、
完璧を期しながら、完全な人間として生きよう、なんてことはしない。
ポメラはそんな「ぶっとばし人生」の私には最高の道具。
画面が大きくなり、入力文字もさらに大きくなってポメラDM20なら、
もっと長い日記文が書ける!
by hologon158
| 2018-04-10 22:17
| ホロゴン外傳
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