752.00 美との対話7「2018年11月17日神のごときレオナルドの美にひれ伏して」
人間の中にはスペシャルな人たちが居ます。
その才能が神によって与えられた、としか言いようのない人たち。
偉大な人間さえも遙かに超越している存在。
そんなに沢山与えられたわけではありません。
ほんの一握りでしょう。
思索で言えば、ソクラテス。
彼のあとには、沢山の天才的な思索家が続いています。
でも、彼らはすべて彼以前の巨人の肩に乗っかって仕事をしました。
ソクラテスは違います。
「汝自身を知れ」なんて、彼以前には誰も考えませんでした。
彼こそが「人間とは何か?」という根源的な思惟の創始者なのです。
ソクラテス級のスペシャルな立脚点を見いだした巨人は僅かです。
音楽で言えば、モーツァルト。
美術で言えば、もちろん、レオナルド・ダ・ヴィンチ。
ルネサンスの巨人たちの評伝「ルネサンス画人伝」の作者、
ヴァザーリは、中国史における司馬遷、
古代ギリシア史におけるヘロドトス、トゥーキューディデース、
といった偉大な史家ほどではありませんが、かなり近い存在です。
なぜって、司馬遷たちは、長い歴史のある一部に光を当てました。
彼ら偉大な史家が出現して、大変な筆力で事績を記録し、
人類の宝としたからこそ、その時代の英雄たちは歴史上燦然と輝き、
後世に永く記憶されることとなりました。
彼らがいたからこそ、その時代の英雄たちは特別な存在となりました。
たとえば、項羽と劉邦の人間性、器、才能の違いは、
人類共通の記憶となりました。
でも、たとえば、唐の大宗李世民、明の太祖朱元璋、清の始祖ヌルハチ、
このような項羽と劉邦に匹敵するような歴史的存在の人柄、人生、業績を、
あなたは知っていますか?
彼らには司馬遷に匹敵するような偉大な史家はいなかったからです。
ヴァザーリはそこまで大きな仕事をしたわけではありません。
もし彼が「画人伝」を書かなかったしても、
上記3人は美術史にほとんど比類のない名声の記憶を人類に残しています。
でも、とにかくヴァザーリは16世紀に出現して、
ルネサンス期の偉大な画人たちの生き生きとした記憶を書き記してくれました。
ヴァザーリはミケランジェロの弟子でしたから、
師匠の伝記が白水社の訳書上では136頁と突出しています。
これに続くのがラファエロの50頁、
ジョットー、ティツィアーノの30頁、
ダ・ヴィンチの18頁。
でも、各伝の冒頭に破格の讃辞を特記しているのは三人だけです。
レオナルド、ラファエロ、ミケランジェロ。
レオナルドに対する讃辞はその中でもさらに破格です。
「この上なく偉大な才能が、多くの場合、自然に、ときに超自然的に、
天の采配によって人々の上にもたらされるものである。
優美さと麗々質、そして能力とが、
ある方法であふれるばかりに一人の人物に集まる。
その結果、その人物がどんなことに心を向けようとも、
その行為はすべて神のごとく、他のすべての人々を超えて、
人間の技術によってではなく神によって与えられたものだということが、
明瞭にわかるほどである。
人々はそれをレオナルド・ダ・ヴィンチにおいて見たのである」云々。
ヴァザーリはレオナルドのことを、さらにこう言います。
「真に驚嘆すべきであった神的な人であった」
さらに、ラファエロの項にもレオナルドのことが記載されています。
「たとえばレオナルド・ダ・ヴィンチは、男の顔を描かせても、
女の顔を描かせても他者の追随を許さぬものがあり、
とくに人物の優雅さや動きにかけては、
他の画家たちを遠く引き離している人だが、
彼の作品を見たときに、ラファエロは驚嘆し、茫然自失してしまった。
(中略)
全能力と全知識を傾けてレオナルドの様式を模倣するよう努めたのである。
しかし勤勉や努力にもかかわらず、いくつかの難しい点では、
ラファエロはレオナルドを凌駕することがついにできなかった。」
私は、ヴァザーリを読む遙か前に、レオナルドに出会った頃、
レオナルドのマントヴァ公夫人イザベラ・デステの素描に出会い、
それ以来、素描の神業にかけて、
レオナルドを凌ぐ人は居ないのでは、と考えてきましたが、
さらに、レオナルドの多くの素描、とくに自画像を見るにつけ、
さらに、ヴァザーリの「画人伝」を読んで、その思いをさらに強め、
現在まで意見を変えたいと思ったことは一度もありません。
上記の素描に描かれたマントヴァ公夫人イザベラ・デステは、
ルネサンスを代表する知性的な女性として大変に有名です。
その上、大変な美貌でした。
ところが、レオナルドは、上記の素描を一枚描いただけで、
それも他にやってしまい、ついにイザベラの絵は描かなかったのです。
しかも、たった一枚描いた素描のイザベラは横顔。
当時最も魅力的な女性であったのに、なぜ、こんなに消極的?
私は、こんな話が大好きで、勝手な謎解きを楽しむ癖があります。
ただちに、答えが頭に浮かびました。
私の回答はこうです。
レオナルドは、イザベラが嫌いだったのです。
賢いうえに、美しい。
その2つの武器を使って、男たちの上に君臨し、
イタリアの政界に大きな勢威を振るっていた。
イザベラは当代最高の女性として敬愛される生涯を過ごしました。
でも、誰よりも鋭敏で深い眼差しをもつレオナルドには、
イザベラの優雅な微笑みの陰にかすかな驕慢の奢りを感じたでは?
その上、女性よりも男性の方を愛する質であったことも手伝って、
レオナルドは、庇護者として君臨する女性に唯々諾々と従いたい、
なんて思わなかったのではないでしょうか?
まして、そんな女性のために、後世に残るような傑作など、
絶対に描きたくなかったのでは?
しぶしぶ描いた素描は横顔だったのもそのせいかもしれませんね。
正面像をまともに描いたりしますと、
レオナルドのイザベラに対するそんなマイナス感情がばれてしまう。
さりとて、本心を押し隠して、ただただ優美な公妃に見えるよう、
いわばフィクションとなるような描き方をするなんて、
彼には絶対にできない。
だから、なんとしても、描かないで済まそう、
そう考えたのではないでしょうか?
今回も、すべて顔を中心に、大幅にクローズアップして、
部分撮りに徹しました。
レオナルドの描線の美しさは筆舌に尽くしがたいものがあります。
いくつかはヨーロッパで直に観賞することができました。
作品世界の豊かさにおいては、ラファエロやミケランジェロに
はるかに及ばないレオナルドですが、素描のたった一本の線で、
それでも彼らに優るとも劣らない美の創造者であることを、
誰に対しても証明することができたのではないでしょうか?
by hologon158
| 2018-11-17 22:19
| 美との対話
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