778.01 ホロゴンデイ212(2018年9月16日ホロゴン15㎜F8Uが奈良町から東大寺を巡歴)1 老レンズは死なず
2月20日木曜日、
写真家吉田正さんの梅田写真教室でした。
独創的な写真家、高潔な人格者である吉田さんの薫陶を受けるのですから、
教室のみなさん、それぞれに自分なりの写真世界を作りつつあります。
吉田さんはけっして「こう撮りなさい」というような指導はされません。
傑作写真を撮るためのノウハウも教示されません。
それぞれに異なる人生と人間性の持ち主たちが、
のびのびと自分の写真世界を築けるように、側面からアドバイスするだけ。
それが物足りない人は早晩離れていきます。
でも、ノウハウを教えてもらって巧い写真を撮って頭角を現しても、
人間的な基礎を固めないままに、小手先の写真巧者になっても、
どこかで必ず頭打ちになります。
反平氏の貴族たちの粛清を断行しようとして、
甲冑に身を固めた清盛の前に、
父を諫めようとして、穏健有徳の君子、長男の重盛が参上したとき、
大急ぎで袈裟をかぶって鎧を隠そうとした清盛のように、
写真の裏に、
写真の真実性を損なうようなさまざまなパソコンテクニックを
後手に施したことがバレバレになってしまうと、
写真作品としての価値はあっけなく崩れてしまいます。
どんな場合でも、感じる心、アート的な感性の深さが、
写真作品創造の基本条件です。
画像処理テクニックは、この基本条件をまずクリアーしない限り、
鎧を隠そうとする袈裟にすぎません。
第二次世界大戦敗戦後の30年ほどは、
真の国民政治家となるために、
長い下積みを体験してきた人たちが政界の重鎮となったものですが、
今やマスコミの巧みな誘導によって醸成された機運に乗じて、
ろくな体験も積んだことのない、腰の弱い二代目、三代目政治屋たちが、
人格を磨くいとまもなく、と言うより、そんな必要など無知のまま、
政界のトップに祭り上げられる時代になってしまいました。
民主主義の皮を被った寡頭権力政治の時代に、
知らぬ間に移行してしまったのです。
日本とアメリカがとくに顕著ですが、実は世界中がそうです。
現代は多国籍のコングロマリットが連携し、ときには競合して、
諸国の権力の黒幕となる時代なのです。
コングロマリットの運営は巨大コンピューターによって操作されています。
こうなると、どのような方向に向かうか、その趨勢は目に見えてきます。
このコンピューターをコントロールできる人間は、
次第にひそかに粛清されて行くでしょう。
最初は、コントローラーたちのひそやかな権力闘争として。
でも、そのような権力闘争の実現はコンピューター制御に依存しています。
いつしか、もっとも広範で深淵な情報の把握者は、
コンピューター自身となるでしょう。
コンピューター主権の時代です。
もうひそかに半ばそんな時代に移行しているかもしれません。
ホワイトヘッドは、20世紀の初頭すでに、人類の歴史は
人類の発明する移動メカニズムの速度に即応して、
超高速化するだろうと予言しました。
ということは、つまり、滅亡の時期がどんどん速まるということなのです。
写真史もなんだかそっきりの経過を保っているようです。
現代では、カルティエ・ブレッソンや木村伊兵衛のような、
人情の機微を見事に活写した名作は生まれないでしょう。
その理由は実に簡単です。
まず、そんな写真を撮る写真家が消えてしまいました。
そして、こちらの方が根本的ですが、
そんな人情そのものがストリートから、人間の生活から消え失せてしまった!
つまるところ、私が愛する名レンズたちの活躍の場そのものが、
あえなく消えてしまったようです。
老兵は死なず、ただ去りゆくのみ。
そして、老レンズは死なず、
ただ撮りゆくのみ。
by hologon158
| 2019-03-09 21:21
| ホロゴンデイ
|
Comments(0)