わが友ホロゴン・わが夢タンバール

32.12ホロゴンデイ12「2006年11月20日大阪心斎橋界隈」12 バイクに一番似合っている場所


伏見の街を撮り歩きながら、考えました。
ぼくは、なにを撮ろうとしているのだろう?
なんでこれを撮り、なんであれは撮らないのだろう?
どうやら、私は、ものそのものを撮っているのではないようです。
ものを見たとき、なにかイメージらしいものが心に浮かぶことがあります。
イメージが浮かばないのであれば、撮りません。
イメージが浮かんだとき、
そのイメージが自分自身の心にかなうようなものであれば、撮ります。
昨日は、仲の良い友人3人と歩いたのですが、
みんなてんでんばらばらのものを撮ります。
みんな心が違い、性格も違い、人生が違い、
写真に対する思い入れも違い、だから、写真の理想も違う。
だから、同じもの、同じ光景を見ても、まったく異なるイメージを抱くらしい。
だから、同じ街、同じ自然を撮っても、写真がぜんぜん違います。
写真にスタンダードはないのでしょうね。
写真はマラソンではなく、
写真に優劣もない、そう言いたいですね。
好きな写真とそうでない写真があるだけ。
もちろん、はっと心を突かれる写真、
心を揺さぶられる写真があります。
こんな写真は絶対に撮れないなあ、と心底脱帽する写真もあります。
でも、それは人生を豊かにする写真体験ではありますが、
その写真と同様のものを撮らなければならない、そんな目標となるものではありません。
よその奥さんを見て、わあ、美しい人だ!とびっくりすることがあっても、
だから、その奥さんと結ばれることは論外、というようなものです。
だから、写真はやりがいがあるわけです。
じっくりと腰を据えて、ゆっくりとゆっくりと自分の写真を作り上げてゆく、
そんな地面に根を生やすような営みが写真趣味なのではないでしょうか?
とすると、その営みの一日一日が貴重な体験の積み重ねであり、貴重な収穫。
だから、どの写真も大切なのです。
ブログを初めて、私は、ほとんどどなたもおやりにならないような、
「ある日のホロゴンと私」(ホロゴンデイ)シリーズを続けています。
ある日撮った写真をずらりと並べてゆく。
いわば、写真の才能の有無も、写真に対する思い入れの中身も全部さらけ出す、
猛烈に無謀な企画です。
でも、ここで考えたように、どの写真も私にとって大切な子供たちなのですから、
はたからは、見ちゃおられない駄作群であっても、
私にとっては、自分の写真たちに「お前たちみんな大切なんだよ」と語りかける行為。
こんな風に考えると、ますます私の駄作たちがいとおしくなってきました。
そこで、本日も、我が駄作を4枚。
前にもアメリカ村シリーズで出しましたが、またまたバイクと自転車。
どこに行っても、バイクと自転車を撮ってしまいます。
でも、バイクに一番似合っている場所があるとすれば、
それはアメリカ村ではないでしょうか?

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by Hologon158 | 2008-10-12 10:23 | ホロゴンデイ | Comments(0)