わが友ホロゴン・わが夢タンバール

33.5ホロゴン写真展「1998年1月冬のネパール」5 町の東西が分かってからがほんとの旅

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カトマンズの道をぐるぐるぐるぐる歩き回りました。
道はぬかるんで悪いのですが、人は滅法よろしい。
どこに行っても、だましたり、口車に乗せたりという客引きゼロ。
というより、大変に親切。
写真を撮ったことが分かっても、大人も子供もおねだり一切なし。
どこに行っても感じたことは、
たとえば、シュリーマンやイザベラ・バードが幕末日本を旅したときに感じたことを、
今ぼくはここで感じているのだということでした。
ちょっと低開発国風で、経済も貧困、生活はいわば19世紀的、
人間も素朴なので、つい劣等に見たくなってしまう。
でも、これはとんでもない誤解。
旅でいろいろな出会いがありましたが、
ネパール人は固有の文化としっかりとした見識を持つ国民なのです。
それは、まさにシュリーマンたちが日本で感じたことなのです。
子どもたちの態度からもそれが知れました。
けっして物怖じしたり、大げさにはにかんだりしないのです。
自分をしっかりと堅持して、外国人である私とも対等に振る舞い、
隙を見せません。
ときどき「ワン・ダラー」などと声をかけてくる子もいます。
「ノー・ダラー」なんて返しますと、にやっと笑います。
くれないのはちゃんと分かっているけど、
駄目もとで言ってみただけと言わんばかり。
その態度に物乞いの卑屈さなどかけらもありません。
誇り高いのです。
貧乏旅行中の日本人学生に食事を振る舞ったことがありましたが、
ルートの選択を誤ったと後悔していました。
「インドから入ったので、ネパール人が親切にしてくれても、
なにか魂胆があるに違いないって構えてしまうのです。
だから、素直に親切を受け入れることがなかなか難しいのです。
ネパールからインドに入ればよかった」
私に言わせれば、インドとネパールを一度に回ろうとするのが間違い。
ネパールからインドに入ったら、きっと手ひどくだまされたに違いありません。
外国旅行は、一旅行一国が原則です。
でも、日本の現状は、会社に一旦就職したら、
全身全霊会社にとっぷりと浸りきり、無私の忠誠を尽くさなければならない。
長期旅行など論外。
彼も、当分旅行はできまいと考えて、貧乏旅行をしているのです。
私は、もともとそんな忠誠心まどかけらもない人間でしたから、
相当若いときから、旅行を楽しんできました。
十数年前から、写真撮影のための個人旅行に切り替えてからは、
一国どころか、ほとんど一都市が原則です。
最初は西も東も分からない町が数日経って、
地図なしに方向、位置が分かるようになる。
それからが旅の醍醐味なのですから。

      [撮影メモ]
       これはホロゴンによるノーファインダー撮影。
       110度の画角のある超広角レンズだとは誰も気づきません。
       どこからどこまで写るか、撮ってる本人だって分からない。
       まして撮られる方はまったく見当がつかないはず。
       それに、私はけっして周辺の写したい人に目をやりません。
       あくまでも遠く中空に視線を集中して、
       あのあたりを撮るぞ、撮ってやるぞ、という気勢。
       撮り終わった後も、人の方は原則として見ません。
       自分の視線の方向をもう一度しっかりにらんで、
       よし、ちゃんと撮れたぞ!という思い入れでうなづくのです。
       すごく好奇心を燃やしている視線を感じると、
       ふとそこに君がいるのに気づいたよと言わんばかりに、
       くるりと視線をその人に回して、
       「おや、なんだ、そこに居たの?」といわんばかりの笑顔で、
       「こんにちは」
       向こうも気楽だし、こっちはもっと気楽。
       たいていその国の言葉がしゃべれない町を回りますので、
       自然な笑顔、これが万国共通の国際語ですね。
       みなさん、平素から常に笑顔で人に接することにしましょうね。
       そうでないと、急に笑顔はできませんよ。
by Hologon158 | 2008-10-13 17:23 | ホロゴン写真展 | Comments(0)