33.20ホロゴン写真展「1998年1月冬のネパール」20 ちびっこ商人たち、もうかったかな?
真・善・美
あなたは、この世で一番大切なものとして、どれをとりますか?
こんな風に尋ねますと、必ず、一人位、こう答えるものです、
「愛!」
この人、ちょっと屈折していますね?
三つの内でどれかをお尋ねしているのです。
昔、私がお世話になった方に、その娘さんが同じ質問をしたそうです。
この方は、常に毅然として果断、人の上に立つに足る器でしたが、
惜しくも50歳で世を去ってしまいました。
お世話になった方たちが追悼記念論集を出版し、
その中で、娘さんが父の思い出を書き記していたのを読んだのです。
書斎で仕事をしている父に戸口からこう問いかけたのです、
「お父さん、真善美っていうけど、どれが一番大切なの?」
彼は振り返りもせず、たちどころに一言、
「もちろん、美だよ」
娘さんはちょっと驚いたと付け加えていました。
この人は、職業柄、当然に「善」または「真」と答えることが期待される人だったのに、
その言葉にいささかもためらいがなかったからです。
私は、まだ30過ぎだったのですが、この文章を読んで、
無性に嬉しくなったことを思い出します。
私も同じ答えをするからです、当時も今も。
なぜか考えてみました。
答えは簡単、
なにが善か、なにが真かを決めるのは大変に難しいうえ、
状況、時代、条件次第で変わってしまうことだってありえます。
善、真は人間関係、社会関係の中で問われるべきことだからです。
でも、美は絶対です。
誰にとっても美か、などということはこの際問題ではありません。
私にとって、なにが美か?
大切なことはこれしかありませんし、これは即座に分かります。
そして、その瞬間、ある形象を、情景を、人を美しいと思うと、
その瞬間は永遠に美の瞬間であり続けます。
美を疑うことはできないのです。
なぜこんなことを書くのか?
私は、自分がたいへん特殊な美的感覚の持ち主であることを知っています。
私が美であると認めるものを、誰もが美であると認めるわけではありません。
これは当たり前のことなのですが、
たいていの方が美を認めるものだけを美と考える、大変平均的な方もいます。
私の場合、私が美と認めるものはたいていの方が美と認めない、
そういう意味で、特殊であることを認めざるを得ません。
でも、私は、自分が美しいと感じるとき、
それがなんであれ、その感覚を否定するつもりはありません。
否定することは、自分を否定することにほかならないのですから。
[撮影メモ]
本文と写真はほとんど関連がありませんね。
でも、ふと感じることがあって、
どうしても忘れないうちに書いておきたかったのです。
写真はバドガオンのお祭りの路傍風景。
子どもたちが読み終わった漫画を集めて売っています。
よくご覧ください。
とくに昔男の子だったあなた、なんだか懐かしく感じませんか?
少年時代の友達がそっくりここに居るではありませんか?
きりっと賢いリーダー、
お茶目なふざけ屋さん、
おっちょこちょい、
平凡だけど、しっかり屋、
すばしっこい奴、
ほんのちょっと抜けているけど、人がいいの。
いつも端っこにいる脇役タイプ。
あなたはその内、どのタイプだったですか?
えっ、きりっと賢いリーダー?
まさかー!
私はもちろん、おっちょこちょいでしたね、今でもですが。
でも、この子どもたちみんな、
活き活き溌剌としているではありませんか!
こんな古きよき時代の少年像を再現しようと思ったら、
やっぱりフレクトゴン35mmF2.4のような古式レンズがよい、
そうお感じになりませんか?
by Hologon158
| 2008-10-17 18:25
| ホロゴン写真展
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