わが友ホロゴン・わが夢タンバール

34.6ホロゴンデイ13「2007年5月12日の西の京」6 わっと黒いけど、たいしたことはない


今、目の前に丸山応挙の「氷図屏風」という二曲一双の屏風絵を置いています。
本物を前に置けるほどの大富豪であればよろしいのですが、
まあ、大富豪にはそれなりの苦労が多いようですから、パス。
ただの紹介本の写真で我慢しましょう。
ちいさな写真です。
でも、それだけで、この人も天才だったと判ります。
そんな絵です。
180センチの長い横幅の屏風いっぱい、ほとんどなにもないのです。
底部3分の1くらいに、実に鋭利な描線が走り、
一目で、これは氷のひびが走る池、そして時は厳冬とわかります。
「これが天才の絵なんだよ、
あんたら、描けるかい?」
応挙の声が聞こえてきそうです。
ジョットーの円を思い出します。
さしずめ、こちらは「応挙の線」か?
一枚見ただけで、これは天才だよと即決できる芸術作品というものがあるものです。
ダ・ヴィンチの聖母子像の習作デッサン。
フェルメールの「牛乳を注ぐ女」。
写真にもそんな作品がありますね。
カルティエ=ブレッソンのサンラザール駅裏の水溜りを飛ぶ男の写真。
木村伊兵衛の農村の若者たちの群像写真。
エドワード・ウェストンの「レッドペッパー」
芸術作品というものは、本来、そんなものです。
人目見たとたん、なにかがぱっと弾け、視野がぐっと広まり、
心が天空を駆け巡ります。
前回の眼科医の言葉にしたがえば、
「わっと出てきたら、わかります」
心と魂の強壮剤としては、天才の芸術作品が一番。
でも、そんな天才たちが次の作品を生み出すために払ってきた犠牲を考えると、
天才たちは、その芸術作品の代償、代価として、
自らの心身を文字通りすり減らしてしまうといわざるを得ません。
そんなことを考えるにつけ、いつも考えるのです、
ああ、芸術家でなくてよかった!
写真界で見ましても、傑作写真を生み出して、名声を作り上げた写真家たち、
芸術家でもないのに、大先生に祭り上げられ、
やむなくそれにふさわしい威厳を繕っていきていますが、
その内実は、すでに創造性が枯渇して久しいことが多いようです。
新機軸によって一家を成した芸術家は、
その次のステップとして、その新機軸に足元をすくわれるわけです。
ピカソのように、次々と脱皮して、まったく独創的な絵画史を次々と創始する、
こんな天才はほとんどいないのですから、
芸術家ってつらいものですね。

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by Hologon158 | 2008-10-21 10:28 | ホロゴンデイ | Comments(0)