わが友ホロゴン・わが夢タンバール

2008年 11月 12日 ( 4 )

39.18 ホロゴン写真展2「2003年夏のネパール」18 どうすれば、味のある顔ができあがる?

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どうすれば、味のある顔ができあがるのでしょうか?
味って、どちらかというと、苦い体験を表しているようですね。
幸せいっぱい、夢いっぱいという人間が味のある顔をしている、
ということは聞いたことがありませんね。
ながーく苦しい体験、悲しい体験を積み重ねるとき、
味のある顔の人間ができあがるようです。
仏教町ボーダナートのチベット僧がそうでした。
私とは40センチ程度でしたでしょうか?
でも、気づいていません。
なにかに気をとられているようです。
むしろ背後のおばあちゃんの方が私に気づいています。
でも、自分が写っているとは夢にも思っていない。
こんなときですね、自分が語学の鈍才であることをいらだたしく思うのは。
このお坊さんの苦労話を聞くことができれば、
現代史の一裏面をしっかりと学ぶことができたはず。
それにしても、チベット僧のファッション、
なかなか面白い取り合わせですね。
それなりに効果を上げています。
お坊さんも服装を選ぶとき、鏡の前に立ってみるのでしょうか?
by Hologon158 | 2008-11-12 21:46 | ホロゴン写真展 | Comments(0)

39.17 ホロゴン写真展2「2003年夏のネパール」17 さまざまな動物たちも輪廻転生のご同行


長崎県立美術館はなかなか立派な美術館のようです。
常設展には、野口彌太郎をはじめとする沢山の画家たちの絵が並んでいました。
名の知れた画家も幾人も混じり、
それぞれに立派な作品ばかりなのです。
しかし、心にどっと侵入してくる、
そんな圧倒的な勢いを感じさせるものは見あたりません。
むしろ当美術館が力を入れているスペインの現代画のなかに、
凄いエネルギーを感じさせるものが数枚ありました。
これら数枚を除いて、たいていの絵を眺めていて感じるのですが、
描き尽くしたぞという強烈にほとばしる執念のようなもの、
これは俺の絵なんだぞという圧倒的な自己主張が感じられない。
いささか温度が低いのです。
佐伯雄三にはそれがありました。
舟越保武のデッサンにもありました。
絵の具の裏に、筆が、
筆の向こうに、画家の手が、
手の向こうに、画家の精神が
しっかりと見えてくる、そんな感じでしょうか?
写真もそうなのではないでしょうか?
偉大な写真家たちの作品には、その写真の向こうに写真家自身を感じます。
自分のことはさておいて、こんなことを言うのは不遜ですが、
たいていの写真は、その向こうになんにも感じません。
私の場合、写真雑誌の写真群のほとんどになにも感じません。
演出写真の場合は感じますが、
それはお付き合いしたくない人間性の場合がほとんど。
ブログでお目にかかる写真の場合、感じることが多いですね。
なにも強烈に自己主張をする方ばかりではありません。
ご自分の気持ちのままに自然に撮っておられるので、
撮影者のお人柄がにじみ出てくるのです。
そんな方の多くがむしろ控えめで謙虚であることが嬉しいですね。
写真って、撮影者の上品さ、穏和さまでも写しだしてくれるのですから、不思議です。
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ネパールはさすがにピンズー教の国です。
さまざまな動物たちも輪廻転生のご同行。
だから、大切にされています。
アヒルは、朝悠々と散歩を楽しみ、
鶏は、祈りの場に踊りで参加し、
犬は、残飯漁りに忙しそうです。
みんな、現生にあってできることを精一杯やってるという感じですね。
by Hologon158 | 2008-11-12 18:17 | Comments(2)

39.16 ホロゴン写真展2「2003年夏のネパール」16 この少年の瞳の美しいですね

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この少年の瞳も美しいですね。
14で、日本の都会の子どもたちの瞳が冷めていることを書きました。
でも、帰宅してから、まこっちさんのブログを拝見して、
まこっちさんのお子さんの瞳が美しく輝いていることを発見して、
驚くとともに、嬉しくなりました。
日本でも、美しい環境の中、幸せな家庭に育つ子供の瞳も冷めたりはしない。
でも、アジア諸国の路地裏を歩いて感じるのは、
かなり劣悪な環境、経済状態でも、子供の瞳は活き活きとしています。
そうしたコントラストを考えますと、
日本がたどってきた道、現在の状況は、
子供の成長にとってかなり悪影響を与えていると疑いたくなってしまうのです。

旅から帰って、一番ほっとするのはパソコンの前に座ったとき。
もうこれだけで、私がパソコン中毒患者の一人であることがばれてしまいますね。
文章を、筆記道具ではなく、キーボードで書く、
これは20年来の習慣になってしまいました。
キーボードの所定の位置に指を置くと、自然に考えがわいてくるのです。
近頃、鑑別所に収容された少年が一番苦痛に思うのは、携帯電話を取り上げられることだそうです。
駅でも電車でも、若者たち、携帯を顔の間近に貼り付けたまま、目を離さない。
携帯が身体というより心の一部になってしまった感があります。
私の場合、それがキーボード。
でも、身体の一部にしたい一番の道具はホロゴンウルトラワイドなのです。
それなのに、なかなか身体になってくれない。
当たり前です。
自然に慣れ親しんだらそれでいい、そんなやわな道具ではないのですから。
カルティエ=ブレッソンや木村伊兵衛の撮影風景を見ますと、
すべての動きが流れるように進行して、とどまるところがありません。
なにもない空間で動作するのではありません。
被写体となる人、情景の動きに沿って、動きを予見しながら、
しかも、撮るべき写真を構想しつつ、行動をコントロールし、
最適の瞬間に最適の場所にレンズを持って行くのです。
しかも、スナップ写真家は、シャッターを落としたら作業完了というわけにはいきません。
その後のフィニッシュの動作も大切。
人を驚かしたり、情景をかき乱したりしないよう、
ごく自然であたりまえの動きを見せなければならないわけです。
ピアニストや舞踏家のような、なめらかな動き。
でも、こんな名人芸を可能にしたのは、ライカだったのかも知れません。
(ただし、キャパはオールド・コンタックスだったようですね)
現代の巨大一眼レフの写真家の撮影を拝見しますと、
とても情景に自然に寄り添った撮影は無理で、むしろ襲撃に似ているようです。
私のホロゴンウルトラワイドはその中間。
ライカのようにさりげない道具ではないけど、一眼レフほど大げさではない。
むしろ道具化を遅らせる要因は、私の場合、スナップを撮る気がないことでしょうか?
ロボーグラフィは、人を撮ることがあっても、路傍の点景としてであって、
人間模様を活写するスナップとはちょっと意味合いが違うようです。
なにしろ110度の画角があるのです。
路傍を撮っていると、人間が入ってくることだってあるわけです。
そのときすかさずシャッターを落とすだけで、
その人の行動を写真的に処理したいわけではないのです。
あくまで路傍が主人公。
このようなことを考えても、私が素人の域を出る可能性がないことは明らか。
こよなく愛するホロゴンウルトラワイドが手の一部になる日はほど遠いのですが、
手の一部とほとんど化したキーボードでホロゴンを誉め讃えることで
満足することにいたしましょう。
by Hologon158 | 2008-11-12 15:51 | ホロゴン写真展 | Comments(0)

39.15 ホロゴン写真展2「2003年夏のネパール」14 歩くショウケースに後光が射して

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長崎旅行を総括するなんてことは、したくありません。
締めくくって、はい終わり! 
心の中で清算ずみなんてことになりかねないので。
ときどき、はっと驚くような美景に出会うことができました。
美しい風景で知られる場所ばかりが、美景を用意しているわけではありません。
とんでもない場所で、突然、美景が眼前に出現することだってあります。
私のような写真には、そんな美景を忠実に再現する、
そんな役割も能力もありません。
でも、ただちに反応します。
心が動いた、その証拠は残しておきたいからです。
結局、5日間で70本撮りました。
この2500枚の中に、どんな写真が含まれているか?
まったく予測不能。
ファインダーを見ないと、こんなときちょっと不便ですね。
長崎という町が世界に対して持っている意味を考えますと、
これからも長崎と広島は人類に警鐘を与えるシンボルとして、
しっかりと記憶されていくべきでしょう。
そんな長崎をどれだけ表現できるか?
私としても、現像する前から、ちょっと野心が出てきました。
いつものロボーグラフィとは違って、ある種のコンセプトに立って、
ミニ写真展をこのブログ上に展開したいですね。

現在進行中の夏ネパール写真展は、いつもながらの大変に気楽なホロゴン讃歌。
これからも、この調子で、お気に入りの写真を次々とアップしてゆきます。
それなら、写真だけさっさと掲載すればいいじゃないか!
いらだたしげに、そうつぶやく方が居られることでしょう。
でも、このブログに流れるのは、私の時間、私の空気なのです。
これまでも大体においてそうでしたが、
これからも私の自由にさせていただきましょう。

さて、ネパールの少年シリーズ№7は「物売りの少年」
カトマンズの寺院前の青空市場で出会いました。
歩くショウケースというところ。
暑いし、猛烈に重いでしょうね。
ちょっと自分自身の子供の頃と顔が似ていますので、
余計に同情してしまいます。
でも、本人は案外さばさばしたもので、
私がシャッターを切りますと、私を見上げて、にっこり笑いました。
もちろん、この写真の瞬間、彼はレンズを見つめていたのです。

[メモ]
いやあ、参りました。
私の勘違いでした。
帰宅して、よく調べてみたら、
木彫の舟越さんと石彫りの舟越さんは別人でした。
でも、その女性像の清らかな雰囲気はそっくりなのです。
デッサンの素晴らしさもそっくり。
その似寄りに免じて、私の誤解をお許しくださいね。
by Hologon158 | 2008-11-12 00:10 | ホロゴン写真展 | Comments(0)