わが友ホロゴン・わが夢タンバール

2009年 02月 27日 ( 3 )

52.34 ホロゴン外傳7「1989年8月パキスタン」34 学芸員の仕事って魅力的だな


生まれ変わったら、なにになりますか?
私は、美術館の学芸員!
トマス・ホーヴィングの「謎の十字架」(文藝春秋社刊)をお読みになりましたか?
まだ学芸員になりたての青年が、稀代の象牙細工の十字架を発掘し、
メトロポリタン美術館の至宝とするまでの顛末が迫真の筆致で描かれます。
ご当人が自分で物語るのですから、臨場感溢れるドキュメンタリー。
この本を私が高校生の時代に読んでいたら?
そう、こんなことが起こらなかったために、
世界は、あたら最高の学芸員を得る可能性を失ったのである、
なんて、夢想したりはしません。
自分にそんな芸術的感性があるとは思えないからです。
でも、冗談は抜きにして、
一介の学芸員(と言ったら、失礼ですが)が文化に偉大な貢献を果たすことは多々あるようです。
ニューヨーク近代美術館のスタイケンによる1955年の企画、
「The Family of Man 人間家族」は世界中に大きな影響を与えました。
「フォト・リテラシー」で、著者は、スタイケンは冷戦対策であったことを例証しています。
そうだったかも知れないですね。
でも、この写真展を観た人は、アメリカ礼賛、民主主義万歳と感じたのでしょうか?
私は、そんな批判力がないせいでしょうか、世界中でみんながんばっているな、
人間って、素晴らしいな、と感激したものでした。
そして、素晴らしいのは、同じニューヨーク近代美術館のジョン・シャーカフスキー。
ラルティーグを見いだして、写真展を1963年に開催し、
この知られざる大写真家を世界に知らしめるきっかけとなりました。
ラルティーグ自身、自分がそんな大した写真家であるなんて、夢にも思っていなかったのに、
それ以降、大写真家の自覚を得て、見事、さまざまな名作を残したのですから、
シャーカフスキーの功績はそれだけ偉大であると言うべきでしょう。
そして、今度は青森県立美術館の学芸員の出番です。
まったく無名の写真家を見いだしたということではなさそうです。
郷土ではかなり有名なのでしょう。
でも、県立美術館がこの写真家を大々的に取り上げ、写真集を編纂することによって、
小島一郎という優れた写真家が写真史の檜舞台に躍り出ることができたのは、
学芸員の高橋しげみさんの功績のようです。
まだ「写真集成」、3分の1程度、
なかなか進まないのは、あんまり素敵な写真に出会えるので、
そんなに簡単にパラパラとめくって見終わりたくない、
第一印象を一枚ずつきっちりとつかみたいからなのです。
それほどにインパクトが強く、
それほどに大事にしたくなる画像、
ミレーになぞらえたのも無理からぬところがある、
つまり、写真よりも絵画に近い雰囲気がたまらない魅力なのです。
やっぱり生まれ変わって、学芸員になりたい!

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by Hologon158 | 2009-02-27 22:49 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

52.33 ホロゴン外傳7「1989年8月パキスタン」33 経験でホロゴンを使えるか、考えてみました

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No.31で、山形さんから、実に鋭い、実に興味深い問題提起をいただきました。
「作為的な創造行為は一切しないと言っても、無意識のうちに、
今まで培った、構図やタイミングで撮っているようにしか見えない」写真を撮っているのでは?
とりあえず、私なりのお答えをさせていただいたのですが、
まだ十分意を尽くしていない感じで、あれこれ考えてみました。
まず、タイミングのことですが、
私は、この十数年、スナップは本来的には撮らなくなりました。
写真を撮るという意図でもって、写真を撮らないからです。
だから、ある人が来るのを見て、「よし、ここまで来たら撮るぞ」とは考えません。
それはスナップ。
でも、突然、眼前の光景が「面白い、撮るたい!」と感じる瞬間があります。
ホロゴンで撮る場合、そう感じる瞬間の被写体との距離は、
常に1メートル以内なのです。
それ以上離れたら、私が撮っているようなスナップ風の写真は撮れません。
人がぐーんと遠くに行ってしまうからです。
そうではなくて、袖擦り合うばかりの至近距離で、突然撮りたくなる、
その瞬間、めくら滅法撮る、それが私の今のやり方なのです。
だから、タイミングなんてありません。
でも、結果として、ちゃんと写るときがあるのです。
そのときは、ホロゴンのプレゼントと考えて、ありがたく頂戴します。
確かに、私は自分の経験で撮っています。
私が写真を本格的に始めたのは1979年、つまり、30年撮ってきたのです。
ローアマチュアで通してきたとはいえ、
その間撮ったフィルム本数は、モノクローム3600本(全部残しています)、
カラーはおそらく5000本ばかり(大半捨てました)、
その内ホロゴンで1400本を超えているのですから、
かなりの写真経験を積んだことは否定しません。
でも、以前に幾度か書いた理由で、ホロゴンではその経験がほとんど通用しないことが分かって、
私は、ただのど素人として、レンズに撮らせてもらって楽しむことにしたのです。
今回の写真は、85ミリで、タイミングを計って撮っています。
当時は、スナップ屋だったのですから。
カメラを手に提げて、なにするでもない風情でぶらぶらと歩き、
向こうから来る少年がここだと思う場所に来た瞬間、
突然、コンタックスRTSⅡを構えて、すでに予備的に合わせておいたヘリコイドをちょっと廻して、
ピントを合わせて、撮ったのです。
私は、ある程度の経験で、そのとき、どの広さで、また少年がどんな大きさで撮れるか、
分かっていたのです。
つまり、この写真は、私の狙い通り。
でも、110度の画角を持つホロゴンの場合、10センチ違っても、写る範囲は劇的に違うのです。
ある瞬間、腰に構えた15ミリで、どの範囲が写るかなど、少なくとも私には絶対予測不能なのです。
そんなことができる人がいるとは、私は思いません。
ウェストレベルで撮るので、ファインダーをのぞけない。
だから、距離の経験を重ねることもできません。
それなのに、ノートリミングを鉄則とすることに決めたのです。
これは、写真を始めたときからの、私のがんこな鉄則です。
なぜって、カルティエ=ブレッソンを心の師匠とする人間なのですから。
だから、私としては、こう申し上げたいのです、
「今まで培った、構図やタイミングで撮っているように」見えても、
少なくとも私の場合、そうではないのです。
では、なぜトリミングをしなくてよいのか?
私にはその理由は分かりませんが、一つ言えることがあります。
実は、ノーファインダー撮影は難しいものではないのです。
広角レンズで水平垂直を守って、一度、ウェストレベルで撮ってみてください。
像が正立するので、なぜか情景は至極真っ当に写ってしまい、
そうすると、トリミングなんかしなくてもよい感じになります。
一度、お試しください。
そうすれば、私がそんなに難しいことをやっているのではないことを納得していただけるはず。
by Hologon158 | 2009-02-27 18:29 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

52.32 ホロゴン外傳7「1989年8月パキスタン」32 冬の作家、冬の詩人

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「小島一郎写真集成」、
最初の十数頁を見て、とても進めなくなって、見るのをやめました。
なぜか?
退屈だから?
いいえ。
とてもついていけないから?
いいえ。
がっかりしたから?
とんでもない!
圧倒的だからです!
通常、写真家は、アーチストとしての才能がないために、
下手な創造心を働かせると、とんでもないほどにでたらめな作品になってしまうようです。
ディジタルで加工ができると分かった途端飛びついた方が一杯います。
その結果は、破滅的。
でも、小島は違います。
私が初めて見た本格的なピクトリアリズムの作家ではないか?
そんな感じがします。
徹底的に暗室作業で追い込んで、イメージ通りの作品に仕上げる、
そんな作り方です。
ただのドキュメンタリーではなくて、正真正銘のアートなのです。
一枚一枚、ゴシックロマンのよう!
強烈なる空気感と、
張り詰めた緊張感と、
風を切るような凄絶な季節感。
冬の作家なのです。
仮借なき酷寒の風土が心にぐいぐいと食い込んでくるので、
思わずたじろいでしまうほど。
でも、その寒さのイメージに痛いほどしばれながら、
なんとも言えないようなリリシズムが漂っていて、
まさに音楽!
冬の詩人なのです。
また、宝物の写真集が一冊増えました。
人生、至る所にはかりしれない宝石が埋まっているものですね。
by Hologon158 | 2009-02-27 00:04 | ホロゴン外傳 | Comments(4)