わが友ホロゴン・わが夢タンバール

2015年 01月 20日 ( 5 )

570.06 ホロゴン外傅142「2015年1月18日 梅田はスイター日よりだった」6 ルーペ現象


近頃オークションサイト訪問が再燃しています。

    退職者らしくつつましい廉価版を見つける楽しみ。

その一つebayを開くと、私の場合、
オープン画面をざっと古代レンズたちがを埋めます。

    下にスクロールしていっても果てしがない位、
    これでもかこれでもかというクラシックレンズの洪水。

そこで、とても不思議なことが起こっていることが確認できます。

    何百万円という価格がごろごろ転がっているのです。
    キノプラズマート50mmF1.5がサザビーだったかどこかで、
    130万円ほどで落札されたというニュースが流れて、
    古代レンズファンを絶望に落としこんだ事件から、
    何年も経っていないのに.....

    そんな超高価レンズの多くが、
    私のような半部外者には未知の映画用レンズたちのようです。
    もちろん多くの名レンズたちがあおりを食ってでしょうか、
    軒並み高騰しています。

いったい誰が500万円も出して買うのでしょう?
買ってどうするのでしょう?
こんなバブルレンズで撮ると、写真もまた超高級画像なのでしょうか?

    そんなはずはありませんね。

ここで起こっているのは、
近頃とみに横行しはじめているネットバッシングと
かなり平行する現象なのではないでしょうか?

    要するに、ルーペ現象(なんて言葉は、私の造語ですが)。

    バランスがとれて、ただしいパースペクティブの視野の下では、
    あきれてものがいえないほどの煽り効果。

そんな現象のお陰で、真に重要な問題が隠蔽されているのが現代です。

    恐ろしいのは、重要問題(たとえば、原発処理不能)を覆い隠すために、
    誰かがエキセントリックな話題をわざと強調する操作をしている可能性。

    たとえば、マクドナルドの不純物混入事件。
    そんなことは各種食品企業すべてで起こっている事件。
    それなのに、いきなりマクドナルドだけにあたかも同時発生のように起こる。
    おかしいと思いませんか?

ここでも、ルーペ現象が起こっているのです。

    国民はそのようなニュースにさらされると、そのことだけに注目して、
        「マクドは食品管理がずさんなんだ、
        もう行くのはよそう」
    こういうのを大衆のボウフラ現象と言います(もちろん造語)。
    大衆が水分子と同じ行動をとりはじめているのです。

あなた、そんな水分子になるのはやめましょうね。

    まず、つまらないニュースは見ない。
    ニュースになったものがこの世で今一番重要な問題なのだ、
    なんて誤解をするのがよしましょう。

    先日、喫茶店でおばちゃんたちのグループと隣り合わせました。
    スターたちのうわさ話が延々と続いていました。
    ご苦労さまです。

あなた、1週間前のニュースを覚えていますか?

    明日のニュースだって覚えていませんね。
    そんなニュースを追ってテレビに釘付けになって、
    気がついたら人生が終わっている、なんて、惨めじゃないですか?

英語学の権威ジョンソン博士の逸話を思い出しましょう。

    弟子のボズウェルが博士を自分の下宿に招待します。
    ところが、直前になって下宿の女主人がボズウェルのところに来て、
    人をよぶのはやめてくれと申し入れてきたのです。
    せっかくの招待がおじゃんになって、
    失望落胆のボズウェルが博士にお詫びに参上しました。
    すると、博士笑って、こう言ったのです、

    「君、そんなこと気にすることありませんよ。
    10年経ったら、そんなこと、君だって覚えていないだろう?」

これがものごと、出来事を正しく受け止める態度ではありませんか?

    私は生涯テレビをほとんど見ず、新聞のニュースも、
    私の人生とはほとんど無関係と突き放して生きてきました。
    それでも、我慢ができないであれこれと考え、
    文章にも書いてきましたが、
    ますます世界を突き放して生きたいという気持ちが高まっています。

クラシックレンズに話を戻しますと、

    このようなかさ上げ効果、ワッショイ効果は無視して、
    まだ低廉に見捨てられている三流レンズたちに
    珠玉の名品を見つける楽しみに徹することにしましょう。




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by hologon158 | 2015-01-20 22:31 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

570.05 ホロゴン外傅142「2015年1月18日 梅田はスイター日よりだった」5 爪楊枝占い

喫茶店の卓上でのこと。
瓶の蓋の小さな孔から一本ずつ取りだす、爪楊枝を見て、
おかしなことを考えました。

    あの爪楊枝瓶で即席占いを作ればいいのになあ。
    とても細い軸ですが、この爪楊枝に吉凶を記しておくのです。

    そして、テーブルに表示、
    「レジに爪楊枝を見せて下さい。
    占いペーパーを差し上げます。
    ただし、料金の1パーセントを頂きます。
    たった1パーセントで、あなたの運命が分かる!」

「大吉」を当てた人の占い。

    「なんでもない一日ですね。
    それなのに、大吉。
    なぜか、分かる?
    あなたが平穏無事に生きることができる、
    そのことが大吉なんだ。
    今日一日ご機嫌で暮らそう!」

「大凶」を当てた人の占い。

    「えっ、大凶だったんだって?
    おめでとう!
    なんでもないただの一日、
    それがあなたの運命の最悪の日なのだ!
    つまり、あなたのこれからの人生、
    もっともっと素敵な日が待っているということ!」

こういう考え方を「人生の相対性理論」と言います。

    なに、たった今作った造語なんだですが、
    本当のところ、こんな風に考えるのが私の流儀。

正直なところ、このような考え方は、
シビアに生きて、どこまでも成功したい方には向きません。

    私の親友は学生時代、下宿の壁に張り紙をしていました。
        「あの悔しさを忘れるな!」
        「負けるものか!」
    それも人生です。

私は、どんな禍いにも、その反面に幸せが隠されている、
そう信じて、そんな考え方を前提に生きてきました。

    このことは真実なので、容易に信じることができます。
    こうすると、落ち込むことがありません。
    最高のパフォーマンスこと期待できませんが、
    ゆとりのある人生を送ることができました。

でも、これは実は考え方の問題ではありません。
もって生まれた気質で決まるようです。

    何でもものごとを悲観的に考える人も居れば、
    何ごとも楽観一筋に受けることができる人も居る。
    まあ、それぞれ好き勝手に生きることにしましょうね。
    どうせ、なんとも手の施しようがないのですから。
    
でも、私の考案した爪楊枝占いは、
ものごとを悲観的に考える人の気持ちだって明るくする、
そんな感じがするのですが..........?





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by hologon158 | 2015-01-20 22:08 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

570.04 ホロゴン外傅142「2015年1月18日 梅田はスイター日よりだった」4 吉田正箴言集

[前回の続き]
吉田正さんの写真教室での講義の後半は、写真論に移りました。

    このあたりが実は講義の醍醐味なのですが、
    これを詳しく書くと、
    先生のノウハウにも踏み込んでしまうおそれがあります。
    そこまでは書けません。
    
私の印象に残った言葉を断簡の形でピックアップしておきます。
    そうすれば、私は先生の講義を思い出すことができますが、
    講義に参加しなかった方にはただの箴言集でしょう。

こんな具合です。

    「モノクロームは紙で決まります」

    「感じる白、感じる黒を大切に」

    「ネガの一こま一こま、プリント全体が重要」

    「ネガは楽譜、プリントは演奏(アンセル・アダムズの言葉)」

    「プリントまでのプロセスが、写真を仕上げるという作業です。
    人の手を借りることをできるだけ少なく、
    自分の作品を、自分の子を育てるように、自分で作っていく、
    これが一番楽しい」

    「迷ったときは遠慮なく聞いてください。
    でも、最後は自分で決めてください」

    「写真は印象を表現したもの。
    自分の中に美がなければ、
    どうして美を見極めることができるだろうか?」

    「小津安二郎は言いました、
    世間のことは世間に従うけど、
    芸術のことは自分に従う(うろ覚えの引用)」

そして、とても謙虚な言葉もありました、

    「人の写真は一目でわかります。
    でも、自分の写真は分からない。
    最後は、妻に聞きます。
    意外な作品をよしとします。
    それが意外に当たっている。」

(このお言葉には、私、内心爆笑してしまいました。

    我が夫婦とは大違いですね。
    私の写真は作品ではなく、ただの私の雑感、記録なので、
    全部いい!
    そして、妻に尋ねると、どうなるかも知っています。
    妻は、まっしぐら、真っ当そのものの人間です、
    だから、いつも真剣にこう言います、
        「あなた、写真やめなさい!」

    妻もかなり前写真を数年やったことがあります。
    各種賞を次々と取って、幾人かの写真家が言ったそうです、
        「あそこどうなってるんだ?
        ご主人、がんばらなくちゃ!」
    私は笑って済ませました。
    当時からすでに、写真作品など作らなくなっていたし、
    コンテストに応募するなんてしたことがないのですが、
    こんなこと、理解してもらえるはずがありません。
    まだ、理解してもらってもいない。

    その妻は突然写真をやめました。
    その理由が振るっています、

        「つまらない」

    彼女の気持ち、分かる感じがします。)

さて、吉田正さんの箴言集に戻りましょう。

    「写真展の作品選択には最後まで迷います。
    最後に、まあこれも入れておこうかと付け加えたものが
    意外にも評判になることがよくあります。
    これは見る人がすごいのです。
    だから、写真とは謙虚につきあうのがいい」

    「風景を美しく撮ってやろうとは思ってはならない。
    美しさは風景に備わっているのだから」

最後に、すばらしい言葉、

    「光を感じたい。
    光を形にしてつかみ取りたい。
    写真とは光を描くことに尽きます」

    私が日頃ロボグラフィでいつも感じている願いを
    ずばりと言葉にしていただきました。
    
    「フォトグラフィーとは光の絵という意味です。
    これが正しい。
    写真なんかじゃありません。
    真実を記録することが写真ではじゃありません」

昔は「光画」という名称も使われていたのに、
いつ、どんな理由で「写真」と定着したのでしょうね?

    おかげで、ほとんどの人は信じています、
    写真はドキュメント、真実の記録である、と。
    だから、よく言われる言葉があります、
        「写真は嘘をつかない」
    とんでもない嘘ですね。

    こんな誤った常識があるので、
    写真ほど嘘をうまくつける道具はありませんね。

ソ連共産党大会の昔の記録がおもしろいですね。

    幹部が一人失脚しました。
    すると、その幹部も並んで撮られていた写真は修正されて、
    その幹部の姿は消えてしまっていた。

デジタル時代になると、写真整形時代。

    もう修正のない写真はないほど、
    フォトショップ加工が写真を美化する時代になってしまいました。
    つまりませんね。

今回のClub Sei-G写真展には、
東京からわざわざ朗読家の方が来られました。

    その方から吉田正さんの写真と朗読の
    コラボレーションの提案があったそうです。
    写真家吉田正の世界はさらに革新されていきそうです。

さらに文化リーダーとしての活動を広げるお気持ちのようです。
音楽を通じて、人々の心の交流を深める「縁奏の会」を創設されました。
さらに、個展制作を手伝う、たしか年4会の教室も新設されるようです。

    Club Sei-Gのホームページを時々のぞいてみてください。
    (http://club-sei-g.blog.so-net.ne.jp/)

    あなたも参加できます。
    吉田正さんをはじめとして、すてきな人たちと知り合うこともできます。
    人生が広がりますよ。




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    [後書き]
       面白いことがありました。
       教室のメンバーの方が私のブログを教えてほしいとおっしゃったのです。
       2つのブログ名をメモしてあげました。

       横から、吉田正さんがこうおっしゃったのです、

              「びっくりするよ、沢山写真が並んでいるから」

       私、思わず笑ってしまいました。
       実は、私のブログが話題になったときに、
       写真家の方がおっしゃる決まり文句がこのセリフなのですから。

              ああ、幾度、この言葉を聞いたことか!
              みなさん、示し合わせているとしか思えない。

       私としては、もっと別のいい方が好みですね。
       たとえば、

              「すごい写真が一杯見つかるよ」とか、
              「かなり深みのあるブログだよ」とか.........

       無理でしょうねえ。
by hologon158 | 2015-01-20 17:38 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

570.03 ホロゴン外傅142「2015年1月18日 梅田はスイター日よりだった」3 美しい言葉


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1月18日日曜日は2015年最初の吉田正写真教室でした。

    そのせいか、吉田正さん、とても気合いのこもった講義でした。
    昨年のパリフォト月間での個展の大成功で、
    本年に期するところがおありなのではないでしょうか?

20年前、フリーとなって独立されたときに遡って、
写真の道を巡る奥深いなお話をどっさりうかがうことができました。

    速記でもできればよかったのですが、
    私が速記を習ったら、
    伝説の超高速速記者と同様のことが起こったことでしょう。

    その速記者、あまりも超高速であったせいか、
    自分の記録した速記符号が自分でも読めず、
    ついにオリジナルの文章を復元できなかったそうです。
    だから、とくに気に入った言葉だけメモするにとどめました。

吉田正さん、独立をするにあたり、
奥様の了解を求められたそうです。

    奥様は釘を刺されたそうです、
    それは構わないけど、今の生活の質を落とさないように、と
    これ以上のプレッシャーがないのではないでしょうか?

でも、先生、果敢に独立を実行されたようです。

    「独立してみると、これまでのように会社相手に注文が来るのではなく、
    仕事は全部自分一人に来る、」
    そう考えて奮い立ってがんばられたのですが、
    反面、こうも反省されたそうです、
    「今やっていることに満足できるか?
    明日死ぬかもしれないのに?」

そこで、出された結論はこうです、

    「原点に戻ろう。
    最低限の仕事はこなしながら、
    自分の写真を撮り、作品を作ろう」

    「でも、どこかでそう決断したからと言って、
    簡単に作品ができるものでもない。
    流れに逆らいながら、抵抗しながら、
    もがいている内に、そうなっていくものです。
    そんなとき、基本精神として考えたのは、
        遊びが基本。
        だけど、遊びなんだけど、それを精一杯やらないと、
    なんにもならないじゃないか?」

こんな風に自分の写真を撮り始めて感じたことは、

    「自分の写真を撮るためには、人と同じことをしてもしかたがない。
    自分は人と違うんだということを忘れないことが大切。
    人との違いが分かるためには、
    人との違いをしっかり理解しなければならない。
    だから、あくまでも自由に、
    自分らしい写真を撮ること」

    「みなさんの写真を見るときも、
    こんな風に撮ったらとアドバイスすることはないでしょ?
    そんなことができるとも思いません。
    それぞれに自分の生活の中で写真を撮ってほしい。
    美しい写真を撮ろうなんて言っても、意味がない。
    大切なことは、美しい光景を撮ることではなくて、
    美しい心で撮ることです」

このような美しい言葉を語る写真家が
日本中にそんなにたくさん居るとは思いません。

    写真はうまいけど、心を割って語り合える心も言葉も持たない、
    そんな写真家ならざらに居ます。
    でも、うまい写真なんか、見飽きました。
    心にぐっと深く染み込んでくる、そんな写真を見たいし、
    そんな写真家の言葉を聞きたい。
    
私のそんな夢をかなえてもらっているのですから、
今日も至福の境地でした。
                            [次回に続く]
by hologon158 | 2015-01-20 16:16 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

570.02 ホロゴン外傅142「2015年1月18日 梅田はスイター日よりだった」2 文学ロボグラフィ


別ブログの「レンズ千夜一夜」で、ロボグラフィについて、
petzvalさんが面白いコメントを寄せてくれました。


 「文学に見られるロボグラフィについて:

    「しばらく行くと橋がある。
    その上に立って溪の上流の方を眺めると、
    黒ぐろとした山が空の正面に立塞がっていた。
    その中腹に一箇の電燈ががついていて、
    その光がなんとなしに恐怖を呼び起こした。
    バアーンとシンバルを叩いたような感じである。」
                    (梶井基次郎『闇の絵巻』)

    「小さな谷川の底を写した二枚の青い幻燈です。。。」
                    (宮沢賢治『やまなし』)

    「風がどうと吹いてぶなの葉がチラチラ光るときなどは
    虔十はもううれしくてうれしくてひとりでに笑へて仕方ないのを、
    無理やり大きく口をあき、はあはあ息だけついてごまかしながら
    いつまでもいつまでもそのぶなの木を見上げて立ってゐるのでした。」
                    (宮沢賢治『虔十公園林』)

    "A violet by a mossy stone
    Half hidden from the eye!
    Fair as a star, when only one
    Is shining in the sky"
                (Wordsworth "Lucy")
        (苔むす石かげのすみれ草
        視界からは半分隠れてる
        でも、星の様に麗しい
        空に一つだけ輝いている星の様に)

    面白いじゃないですか!」

これは特別にうれしいコメントでした。

    私の目を大きく開いてくれたからです。
    私はロボグラフィを写真に限定して考えていました。
    でも、petzvalさんは、人生全般、宇宙全体に、
    ロボグラフィが散らばっていることを教えてくれました。

以前からこう考えてきました。

    ロボグラフィって、宇宙に一杯開いている孔なのです。
    その孔を覘いてみると、別世界、別宇宙、別人生が見える。
    ロボグラフィって、
        ボルヘスの「エル・アレフ」
        ドラえもんの「どこでもドア」
        孫悟空の「觔斗雲」
    こんなものたちの同類だ!

そこで、petzvalさんのコメントが結びつきました。

    子供の頃から、
    私がともすると想像の世界に遊ぶのが好きだったこと。
    現在の自分にだけ満足することができないせいでしょうか?
    心の中ではどんなことだって想像で生み出せる、
    そんな思いが強かったからでしょう。

    学校の机の模様が別世界の地図に化け、
    ただのちびた鉛筆が伊号潜水艦、ノーチラス号に化けました。

    同じことをレンズを使ってやっているのかも知れません。
    路地裏のロボグラフィたちに接するのも同じスタンス。

どうやら「ロボグラフィ認識ソフト」が脳に備わっているようです。

    出会うものすべてが、そのものではない、別の何かを見せてくれます。
    そのソフトの基本設定には、「切り捨て機能」が入っています。
    そのものの機能、外観、質感、そしてもちろん名前など、
    健全なる市民が認識して、行動の前提すべきデータは全部、
    瞬時に切り捨ててしまい、
    そこにあるはずがない何かが浮かびあがります。

    どんなものにも、人間や動物や宇宙人の顔を見てしまう機能なんて、
    初歩の初歩。

    私とはまったく異質な、でも、私に気付いている、異界の存在、
    私が存在する現宇宙とは別の宇宙の景観を開く窓、
    そんな異形の姿、光景が私の視覚を支配するのです。

「捨象する」という言葉があります。

    「抽象」の逆、裏面を表す言葉ですが、
    私がやっているのはどうやらこの「捨象」、
    それも本来の意味とちょっと違って、
    「そのものの存在以外のすべての現象を切り捨てる」行為。

これは意識してできる行為ではありません。

    そうなってしまうだけ。
    生存のためにそんなことをする必要があるとは思えません。
    むしろ邪魔になるでしょう。
    現実社会で優れた業績を上げる実務家にはとてもなれない人間。

petzvalさんが選び出した文学上のロボグラフィたちも、
作家、詩人たちが道すがら、あるいは生活の場面で、
私のそれに近い精神構造が働いたのかも知れません。

    詩のことなどちっとも分からない私が若い頃から、
    ワーズワースと宮沢賢治の詩にだけは心を動かされたのは、
    そんなロボグラフィ感覚ゆえだったのかも知れません。

    こんなことに気付かせてくれたpetzvalさんという人物、
    私の同類らしい。




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by hologon158 | 2015-01-20 12:03 | ホロゴン外傳 | Comments(0)