2015年 06月 12日 ( 2 )
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602.01 ホロゴントラベル24「2016年3月5日三重にキノプラズマート変化」1 古楽器
6月5日金曜日から7日日曜日までの三日間、
三重を旅行してきました。
旅行の詳細は追々写真とともに書きたいと思っていますが、
私にとっては、いくつかの発見と回心の旅となりました。
出発点は、友人の楽器演奏でした。
友人宅を訪ねたのですが、彼は、
仕事は別として、人生の本質においては演奏家です。
さまざまな楽器を演奏しますが、その根幹は古楽器、
ヴィオラ・ダ・ダモーレとフラウト・トラベルソ。
まず、ヴィオラ・ダ・ダモーレ。
オリジナルの古楽器です。
ヴィオラほどの大きさで、顎の下に挟んで弾くのですが、
ヴァイオリン属ではなく、ギター属の古楽器。
その一度は廃れて、20世紀に復活した楽器からは、
ちょっと表現しようもない、高雅であたたかで心休まる旋律が、
馥郁とした香りをともなって流れ出ました。
私たち日本人も、ヨーロッパ人も忘れてしまった音楽。
続いて演奏してくれたのはフラウト・トラベルソ。
最初期の楽器名人ラフィ製作のフラウト・トラベルソのコピー。
製作者は杉原広一さん。
後期のフラウト・トラベルソは、最低音にキーが一つ付いています。
ラフィには付いていません。
その音色は、フルートとはまったく異なります。
オーボエ・ダモーレについて書いたのとほとんど同じ表現が浮かびます。
音はぜんぜん違いますが、
聞くものの心をあたたかくしてくれるところは一緒なのです。
私の発見は、まず、私の友人が至福の世界にいること、
過去に、その後の音楽とはかなり異なる偉大な音楽が栄えていたこと、
そして、混沌の暗黒時代に入ろうとしている現代にこそ、
この音楽は絶望の底に沈もうとする人の心に
平安と救いを与える一筋の光明となるであろうということ。
もっとも、私は、正直なところ、人のことはあまり気にしていません。
むしろ95パーセントの方は、
現代の混沌にしっかり適応して安住しておられて、
私のこう言った物言いにはまるで共感できないでしょうから。
そして、残り5パーセントの方のほとんどは、
私のブログなどのぞかないでしょうから。
本ブログは日記なので、誰はばかることなく記録しておきます。
今までも、私は美だけを見つめて生きるという所存を繰り返し書いてきました。
ヨーロッパの古楽器の世界を垣間見た今、
私はこの決意が私の思っていた以上に正しいことを知りました。
これが発見の第一。






























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by hologon158
| 2015-06-12 23:38
| ホロゴントラベル
6月5日、退職してはじめての小旅行。
伊勢松阪に参りました。
友人を訪ねたのですが、
もちろん第二の目的は撮影。
慎重に10秒ほど思案して、装備を決めました。
Hologon15mmF8M付きソニーα7、
キノプラズマート19mmF1.5付きオリンパスE-PL1
どちらもフィルム(おっと違った)、電池5個ずつ用意しました。
SDカードの予備も4枚。
私は作品化を予定して大きな写真を撮るなんてことはしない人間、
32ギガや16ギガのカード全部で何万枚も撮れますので、本当は不要。
今回は2泊なので、Macbook Airは持参せず。
中国雲南旅行中、ブログなど作っている暇などなかったので、
用途はワープロと当日撮影分のストレージの役割に尽きます。
そうだとすれば、PomeraとSDカードで事足ります。
退職してから、月1回ほどは小旅行をして、
全国の町のロボグラフィを撮ろう、などと思っていました。
いざ退職してみると、日々の生活を楽しむのに夢中。
なぜか?
退職して、明日のためになにかを準備する、明日に備える、
そんな考慮が常に私を縛ってきたことが分かりました。
今はそれがない。
今、この瞬間、なにをするか、完全に自由なのです。
ロボグラフィというのは、かなり特殊な写真です。
これがどうもたいていの方には理解していただけない。
アマチュア写真家の皆さんの被写体とは無縁。
どこかに行かないと撮れないのがアマチュア写真。
だから、目的地までの道中はただの途中。
どこに居ても撮れるのがロボグラフィ。
だから、道中すべて目的地。
撮りたいものをあらかじめ構想するのがアマチュア写真家。
予期せぬ出会い、ただそれだけを期待するのがロボグラファー。
傑作が撮れたと喜ぶのがアマチュア写真家。
いいものに出会えたと喜ぶのがロボグラファー。
なにもかもが、まるで違います。
それなのに、私のブログに来て、
ああ、つまらないものを見たとがっかりするのは筋違い。
このように考えると、
私が以前はアマチュアカメラマンを目指して撮っていたことが、
我ながら大きな勘違いをしてきたことが分かります。
実のところ、最初から私はロボグラファーだった!
たくさん撮れば、ときにはアマチュア写真風のものが撮れます。
今でも撮れるかもしれません。
でも、私は終始、ロボグラフィにこそ喜びを感じ、
すべてのショットを愛してきたのです。
それなのに、ポジフィルムを使い始めた頃、
大きなプロ用ライトボックスに36枚のポジを敷き詰め、
手裏剣よろしく、不要写真をはじき落として、
数枚になるまで選り抜いていたことを激しく後悔しています。
写真クラブで高評価を得ることばかり気にしていたのです。
こういうのを一時の気の迷いと言います。
おかげで、この時代の写真はほとんど残っていない。
人生の一部を切り捨ててきたという気持ち。
だんだんと分かってきたことが一つ。
どんなところでもロボグラフィは撮れます。
でも、どんな町にもローカリティがある。
独特の風合い、雰囲気、情感がありますね。
そんな風合い、雰囲気、情感を写真の中に再現できたら、
これは大したものです。
もちろん私には無理。
私のロボグラフィはいつどこで撮っても、全部同じ。
私の個性が強力なのか、それとも写真の技量が凡庸なのか?
答えは明らかですが.....


























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by hologon158
| 2015-06-12 14:18
| ホロゴントラベル
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